[Lisztomania!]Case : 6 蘇るパッション 循環するエネルギー Mikio Kaminakamura インタビュー
音楽に関わる人の音楽遍歴などについて話を伺う連載です。
〜Case 6:Mikio Kaminakamura Interview
──まずは音楽を聴きはじめた時期を教えてください。
ミキオ 音楽として意識したのは、幼稚園ぐらいのときに親戚のおじさんがウォークマンを持ってたのを「貸してよ。」って2~3日借りて、アリスのアルバムをずーっと聴いてたことがあった。それかな、最初は。
──ミキオはわたしの1歳年上だよね。幼稚園の頃なんてウォークマンが出たばっかりじゃない?音楽を聴くものってちゃんとわかってた?
ミキオ おもちゃ感覚もあっただろうけど、一応ちゃんと音楽を聴いてる感じはあったな。でも聴いてるのは"チャンピオン"だけどね(笑)。そのあとはね、強烈に覚えてるのが、友達んちでそいつの兄貴が買ってきたスネークマンショーのレコードを聴いたんだよ。語るだけのやつ。それはすっげえ覚えてる。でもそのときはなんだかわからなかったけど、大人になってYMOを聴いて、「ああ、これじゃん!」みたいな。あとはチェッカーズだね。
──フミヤね。
ミキオ 藤井のほうだけどね(笑)。
──わたしが最初に買ったカセットテープはチェッカーズだった。CDはまだない頃だから、レコードかカセットテープだったでしょ?
ミキオ レコードプレーヤーがうちにはなくてさ。中学生ぐらいで自分でCDラジカセを買ったのかな。それからCDをレンタルして、カセットテープにダビングしてた。
──住んでるのはずっと川崎?
ミキオ うん。武蔵新城にレコード屋があったんだよ。中学生のときはマイケル・ジャクソンの『BAD』。流行ってたから耳につくっていうか。あとはバンド・ブームがあったから、ジュン・スカイ・ウォーカーズとか、ブルーハーツとか。洋楽も日本のも両方聴いてたね。大体兄貴がいる奴からそういう情報が入ってくるんだよね。俺は長男だから、兄貴がいる人が羨ましかったね。なんでも揃ってたし。で、高校生になって違う地域の奴らと一緒になったら、ほとんどみんな洋楽を聴いてるんだよ。そこから「俺もついていかなきゃいかん!」と思って。エアロ・スミスとか、モトリー・クルーとか、ガンズ・アンド・ローゼスを聴いてたね。
──ハード・ロック?そっちなんだ。
ミキオ そう。俺、ロック少年だったんだよ。幅広くなんでも聴いた。そのかわりちょっと浅かったかもしんないけど。あとリアルタイムではなくて昔のになるんだけど、レッド・ツェッペリンがすげー好きだった。高2ぐらいからバンドを組んでさ、ドラムをやってたの。で、『ドラム・マガジン』を買うと、レッド・ツェッペリンのドラマーだったジョン・ボーナムの記事とかが載ってて、ビビッときたんだよね。
──なんでドラムだったの?
ミキオ なんでだろう?中学くらいのときに『いかすバンド天国』の影響でバンドやろうってことになって、じゃあ俺はドラムって。その頃はヨシキのドラムが凄かったからかなあ、多分。
──エックスの?そうなんだ!まあ確かにヨシキが凄かったよね(笑)
ミキオ 凄かった。とりあえず(笑)。
──ギターじゃなくて、ドラムかっけー、って感じ?
ミキオ ドラムだったね。ベースもかっこいいけどね。連動するから。やっぱどうしてもベースの音が気になっちゃう自分がいるもん。
──練習はスタジオみたいなところでやってた?
ミキオ そう。登戸に「クラウドナイン」っていうスタジオがあったんだよ。今は宮前平に移ったっぽいけど。でも中学で一緒にバンドをやってた奴らは全然練習しなくて、1回スタジオに入っただけ。結局やってない(笑)。高校の時は1学年で12クラスぐらいあって人数が多かったから、ギターが上手い奴とかドラムが超上手い奴とかゴロゴロいるの。負けてらんねぇって思って、追いつけ追い越せみたいな感じで、バイト代が入る度に洋楽のCDをごっそり買ったりとか。ライブもやってた。本格的にライブハウスでやりだしたのは、高校を卒業して自分で働きだして給料が入るようになってからって感じだな。
──そこでもう自分たちのオリジナルの曲をやってたってこと?
ミキオ やってたね。5~6曲ぐらいあった。その頃はハードロックっていうよりもうちょっと進化してて、ミクスチャー・ハードコア・パンクって感じ。
──そういう感じなんだ?意外なような、意外でもないような。
ミキオ そういう感じですよ。それが90年代中期の、95~6年くらいじゃないかな。
──そこからどうなったのかがすごく気になります。
ミキオ その頃ってなんでも同時だったからね。ミクスチャーのバンドとかやってたけど、90年代の半ばにテクノが入ってきて。やっぱこう、アンテナを張っててさ、情報を持ってくるのが早い奴っているじゃん。テクノがこれから来るぜ、とか言う友達がいて、そいつがエイフェックス・ツインとか電気グルーヴとかを持ってくるわけよ。うわ、なにこれ!ってなるじゃん。バンドもやりつつ、テクノも聴きつつだったね。
──その頃いちばん好きだったバンドはなんですか?
ミキオ 最近また復活したけどレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。ハードなのが好きだね。パンクなのもメロコアとかも。
──でもそこからクラブミュージックには抵抗なく普通に入れた?
ミキオ 入れた。電気グルーヴも昔は結構パンキッシュだったじゃん。アティチュードとかもさ。どのくらいの時期から入ったんだっけな。『Dragon』よりあとだったから、そこから『Vitamin』、『Flash Papa』ってどんどん戻って聴いていった。
──じゃあフミヤさんが電気のライブの前座でDJをやってた頃だね。
ミキオ らしいね。知らないんだけど。
──バンドは結構長くやってたの?
ミキオ いや、でも高校を卒業してから、どのくらいだろう……3~4年?22歳くらいまでかな。
──人生のなかで、若いうちの3~4年って結構長いよね。
ミキオ まあね。でもやってるあいだはそんな風には感じなかったけど。
──バンドはなんで辞めちゃったの?
ミキオ なんでだろうな……。同じバンドのギターをやってた奴が、俺よりもっとエレクトロニックミュージックのほうにいったんだよね。で、そいつが辞めるって言ったのかな。だからそこでもう、自然消滅だよね。だって俺とフミヤさんが繋がったのも、当時フミヤさんのマネージメントしてた人がソバットっていうハードコアバンドのマネージメントもしてたのよ。で、うちらのバンドをソバットが結構かわいがってくれてて、一緒にライブとかやったりしてたんだけど、ギターの奴がそのマネージメントの会社に入って、そこで担当したのがフミヤさんだったの。
──へえー。そういう繋がりなんだ?
ミキオ でもその前からそいつも俺も、西麻布Yellowに遊びに行ってた。フミヤさんのパーティーの「DISTORTION」とか、卓球さんの「LOOPA」とか。
──96~7年あたり。
ミキオ そう。で、そのあとの98~9年くらいかな、フミヤさんがサッカーやってるから来ない?ってそいつに誘われて。俺もサッカーやってたから。で、駒沢球技場にはじめて行ったんだよね。
──そのギターの人ってFC CHAOS(田中フミヤのサッカーチーム)にいた人?
ミキオ そう。ダイチ。あいつ、俺と高校が一緒なのよ。
──やっぱりその人だ。でもフミヤさんのDJとか、そういうクラブにも普通に行ってたんだね。
ミキオ うん。ライブって楽しいじゃん。その感覚で行ったら、ひたすらみんなが踊っててさ、うわ、なんだこれ、ってなるよね。この状況どういうこと?みたいな(笑)。ちょっとショッキングだったね、あれは。
──かなり極端な場所だもんね。音楽はジャンル問わず、なんでも聴きますか?例えばヒップホップとか。
ミキオ ヒップホップはあんまり聴いてこなかったかも。でも気になるジャンルではあるよね。20代頃まではハードロック、パンク、ミクスチャー、その前にグランジもちょっと聴いてたね。オルタナ系。俺は90年代のUKものを通ってきてなかったから、今そういうの聴くとすげー新鮮に聴こえるんだよね。違うほうから入ってるからさ。
──そっか。フジロックの第1回目に行った話をこのあいだしてたから、なんでだろう?と思ってたけど、なんとなくわかってきた。その年のフジは誰が出てた?
ミキオ レッド・ホット・チリ・ペッパーズと、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。バンドやってた奴らはそれが観たくて、俺はそれプラス、電気グルーヴとエイフェックス・ツインが観たかった。だけどあのときはボアダムズがよかったなー。そこで初めて知って、すっげー、なにこいつら!って思ったね。
──好きな音楽に共通してるものってある?
ミキオ うーん。なんだろう?本気でやってるっていうか、ストレートに表現してるのが好き、かなー。そういうんじゃなくて?
──そういうのでいいんだけど、意外っていうか不思議な感じがして。まずドラムだったんだ、っていう。まあでもいろいろ抜いていったら、ドラムは今の音と繋がるもんね。
ミキオ 高校を出て本格的にバンドを組む前に、ダイチと2人でアメリカに行ってるんだよね。本場のバンドを視察しに行くって言って、LAに。ダイチは3ヶ月いて、俺は2ヵ月しかいなかったけど。ずーっとライブを観てた。
──例えばどんなものを?
ミキオ わかりそうなところだと、デビューした頃のベックとか。でもその頃はメロコアが多かったな。オフスプリングとか、バット・レリジョンとか。で、とりあえずスタジオにも行こうって言って。日本のスタジオってさ、ギターは持っていくけどドラムセットは向こうにちゃんとあるから、そのつもりでドラムスティックだけ持って行ったらさ、ないの(笑)。「え、これ無理だね。」って。
──なにもできなかったんだ?でもアメリカのスタジオって音が違うっていうよね。音が乾いてるとか。
ミキオ そうそう。洋楽を聴きはじめて、その辺のダイナミックさはやっぱ衝撃だったもん。でも今にして思うとそれもある程度エンジニアに作りこまれてるっていうか、なるほどこういう感じのスネアの音が流行ってた時期だなー、ってのがわかるけど。
自分の音楽人生の中で重要な作品
──じゃあそろそろ、今まで音楽を聴いてきたなかで重要だと思う作品を教えてください。
ミキオ 重要かわからないけど、よく聴いたのだと『Karafuto Presents Individual Orchestra』。
──いきなりもうフミヤさんが出た。このアルバムはホントいいよね。
ミキオ だってすり減るまで聴いて、もう1回買ったもん。ちょうどジャズを聴きだした頃だったから、あのジャジーなアプローチがうわっと入ってきちゃって。
──ハードロックのバンド系はここに入ってこない?
ミキオ バンド系だったらね、すげー聴いたのがオペレーション・アイヴィーっていう、ランシドの前身バンドがあって、そいつらのアルバムが30曲近く入ってて、全部かっこいいのよ。
──1曲が短い?
ミキオ 短い。パンクだから!それかなあ、バンドでいちばん聴いたのは。あと、5〜6年前にフミヤさんから「ニューウェイブ通ってないなら聴いたほうがいい。」とアドバイスを受けて、遅ればせながら手を出してて、なかでも近年ヘビロテしてたのがこれ。
──リエゾン・ダンジュルーズ!
ミキオ むちゃくちゃカッコいい。クールだよね。フジテレビのCS系で『MUSIC SOUP -45r.p.m.』っていうミュージシャンが影響を受けた45曲をベストテン方式で紹介する番組があって、卓球さんが出てた回の1位で紹介してたのは、さすが!わかってるねー、って感じでちょっと嬉しかった。卓球さん曰く「ドイツのバンドだけど、バンド名はフランス語で、歌ってるのはスペイン語、もうむちゃくちゃよね!」だと。
──あれスペイン語なんだ!?
ミキオ そう。あとはね、リカルド・ヴィラロボスの『Vasco』。あれも何回聴いたかわかんない。
影響を受けた人物
──じゃあ影響を受けた人は?でも話を聞いてたらさっきのダイチなんじゃない?
ミキオ ああ。それはあるかもね。あとは曲作りをはじめてからは、やっぱフミヤさんだよね。いろいろ教わってるから。
──でもフミヤさんといちばん最初に喋ったのはサッカーなんでしょ?
ミキオ そうだね。しばらくしてFC CHAOSもなくなって、俺はパーティーにも遊びに行ったり行かなかったりしてて。でも、サッカーを一緒にやってたメンバーたちが次々とフミヤさんの歴代ドライバーをやってたでしょ?で、いろいろあってドライバー役が俺に回ってきたのよ。そこからだね、がっつり遊びに行きはじめたのは。2007~8年頃。
──曲作りだけではなく、フミヤさんのスタイルみたいなものにも影響を受けてる?
ミキオ もちろん。DJもやるからね。でもやりはじめたのは全然遅くて、曲を作りはじめたのが2012年くらいかな。
──じゃあバンドをやってた頃からだいぶあいだが空いてやりはじめた?
ミキオ うん。音楽はずっと聴いてたけど。でも結婚してたし、子供も小さかったし。
──なぜそこで急に曲を作りはじめたのか。
ミキオ うーん。やっぱなんかね、あまりにもフミヤさんが音楽に対して、俺の想像以上に真面目にやってるのを見てると、やっぱミュージシャンってこうあるべきだよなー、と思って。ははは。やられたね。
──誰かに言われたからではなくて、急に自分でやろうと決めてやりはじめたの?
ミキオ バンドを辞めてから、さっきのそのダイチに、当時あったデジタルパフォーマーっていう音楽制作ソフトを俺のコンピューターに取り組んでもらって、そこで出来る範囲のことを2年ぐらいやってたんだよね。ちょっと遊びがてらっていうか、全然本腰じゃなかったけど、一応やってたことはやってた。で、フミヤさんのドライバーをやるようになってから、横で見てたりして、俺ももう1回やってみようかなと。だって迎えに行くとさ、聴いてる音楽とかがさ……。
──バッハだっけ?
ミキオ そう!クラシックを聴いてたり。やばいよねー。まあいろいろとテクノ以外の多くのジャンルの音楽を聴いていて、毎回、今日はなにを聴いているのか、とドキドキしながらフミヤさんの家に迎えに行ってた。俺さ、もうちょっと適当にやってるのかと思ってたんだよ。全然そんなことなくて。
──フミヤさんのそういう姿を近くで見て、触発されて曲作りをはじめたと。
ミキオ そのときはこんな分厚い、Logic Pro 9 のハウツー本とかを買ったけど、のちにYouTubeのハウツー動画なんかがあがってるのを知って、それを観てた。いい時代になったよなあ、と思うよ。DJのほうがちょっと遅いかな。友達のパーティーで1時間とかやらせてもらってた。
──でもそこからずっと続いてるんだ。面白いね。だって年齢的には30代後半とかでしょ?
ミキオ ね。アホだね。20代のときにできなかったのがデカいかも。やりたかったんだよね。バンドがなくなって、DJも曲作りもずっと気になってて。
──聴くほうよりやるほうが意識が高いのかな。
ミキオ かもね。自分の記憶になかったんだけど、小学校の頃に催し物の謝恩会みたいなやつで、俺、パーカッションをやってたらしくて、そのことを同窓会で言われたんだよね。ああそうだったなー、みたいな。その頃から叩きぐせ出してたよって(笑)。だからやりたいほうなのかもしれない。
──今はもうドラムはやらないの?
ミキオ いやあ、今は凄い子がいるから。YOYOKAちゃんっていう子、知ってる?知らないでしょ?
──知らない(笑)。
ミキオ 女の子で、もう今は中学生くらいになっちゃったけど、その子が凄いの。レッド・ツェッペリンの曲でさ、"Good Times Bad Times"っていう曲があって、俺はドラムが耳コピできなくて断念したぐらいの変態チックなリズムなんだけど、その子は8歳のときにもうそれを叩いてんのよ、普通に!いやあ、凄い子がいるんだよ。YouTubeに出てる。天才ドラマーだね。
──そうなんだ。でも、できるかどうかは別として、バンドをやるならわたしは絶対ドラムがいい。
ミキオ そうなの?じゃあ一緒にやろうよ、バンド。俺ベースやりたい(笑)。
──じゃあギターは、さっきのダイチを連れてきて(笑)。でもそのくらいの歳で音楽をやりはじめたり、急にDJをやりはじめる人って珍しいよね。みんな大体20代からやってるでしょ?
ミキオ ね。上手いよねー、みんな。ははは。でも楽しいよ。やれるだけやんなきゃと思って。
音楽制作について
──そもそも最初に〈Untitled Records〉から曲をリリースすることになったのはどういう経緯で?
ミキオ ずっとフミヤさんにデモを送り続けてた。まあだからリリースはだいぶ経ってからだけどね。最初の頃の曲とかの、もう酷いのもちゃんと聴いてくれてるからさ。いちばん最初に渡したのなんてまだCD‐Rだったんだけど、よくわからなくて。例えば曲を作るときに、ミックスダウンじゃないけどソフトのなかでバウンスしてmp3だったりwavだったりのファイルにするのを知らなくて、そのコンピューター上の作業の音量のデータをそのまま渡したの。「フミヤさん、曲できました!」って。「……データやん。」って言われてさ。「え?どういうことですか?」って(笑)。
──ははは。でも聴いてくれたんだ。そうやって何回も渡していくうちに、反応がよくなって、アドバイスを貰ったり?
ミキオ そうだね。
──曲をリリースするに至るまでのなかで、自分自身では手ごたえがあった?
ミキオ 手ごたえ……。とりあえず俺のしつこさでしょ(笑)。まあでもそれはイコール、パッションじゃないかなと思うんだけど。どうかな。俺はリリースさせてもらってる側だから、こっちからはどう表現していいのかわからないけどさ。
──リリースしたいから曲を作ってくれ、と頼まれるわけじゃなくて、その送った曲のなかからリリースが決まるの?
ミキオ そうだね。とりあえず送り続けてはいるからね。
──そうなんだ。でも面白いね。フミヤさんとミキオの繋がりをわたしは知らなかったから、やっとわかった。
ミキオ だって、言ったら祐子のほうがフミヤさんと付き合いは長いもんね。
──いや、昔から知ってるだけで、10年遊びに行ったけどそこから長いブランクもあったし、付き合いが長いわけでもないんだけど。で、2018年に『Midmorning EP』がリリースされたときに、フミヤさんが自分のホームページ内のブログでミキオのことを長々と書いてた(『続けていく』November 8, 2018 )よね?あれを読んで、ああ、そういえばFC CHAOSにミキオっていたね、ちゃんと喋ったことないけどあの人が曲を作ってたんだ?そんな感じだったっけ?って思ってた。
ミキオ みんなに言われるわ、それ。
──ほかの同年代の周りの人たちの流れとまた違うもんね。2010年代前後って、昔に比べてやっぱりみんな音楽を聴かなくなってきた時期というか、周辺のカルチャーもいろいろなくなって下降気味じゃなかった?
ミキオ そうだね。でも俺はなんかまたスイッチが入って。
──『Midmorning EP』を聴かせてもらって、こんなに豊かな曲を作る人だったんだ、と驚いたんだよね。わたしはまだミキオとはそんなに付き合いが長くないから。だって前に渋谷Contactでフミヤさんにミキオを紹介されたときに「なんかこの人、めっちゃ軽いんだけど。」って文句を言った覚えがあるもん。「軽いけど、ええ奴やねんて!」ってフミヤさんは言ってたけどね。
ミキオ ははは。だってそれ酒が入ってるときでしょ?チャラいって感じ?(笑)。ああいうときはさ、フミヤさんのパーティーだから、楽しくなっちゃうわけよ。どうしても。
──クラブでしかまだ会ったことがなかったから、あの地味な界隈にはいないタイプだなと思って。ノリが違う、みたいな。だから、意外と真面目な曲を作るんだなー、と思って。
ミキオ 意外と繊細な曲を作るでしょ?(笑)
──ほんとですよねー(笑)。だってその日なんて、スカートにウイスキーこぼされたもん。さらにその直後にフミヤさんにもウイスキーをこぼされて、「なんなの、あの〈Sundance〉のふたりは。ひどい酔っ払いだよ!」って言いながら帰ったもん、わたし。
ミキオ 最悪だ(笑)。全然覚えてない。すいません!
──その印象があったから意外でした(笑)。曲は普段も常に家で作ってる感じ?
ミキオ 時間があればね。でも前は仕事が終わってからでも次の日が休みだったら夜中に何時間でも作れてたんだけど、もうダメだね。寝ちゃってさ。歳だね。だからちゃんと夜は寝て、朝起きてメシ食って、午前中から作りはじめたりしてる。
──ちゃんとした生活をするなかで。でも家族もいるでしょ?
ミキオ そう。俺の部屋の向かいが大学生の息子の部屋なんだけど、昼間はもう音が出せないもん。「ヘッドホンでやって!!」って、すーぐ言われる(笑)。
──普通は親が思春期の子供にいう言葉だもんね。反対だよね(笑)。曲作りで大変なことは?
ミキオ 音が出せない。モニター取れない。ヘッドホン限界!みたいな。ははは。
──でも10年ぐらい続いてるってことでしょ?好きなんだね、きっと。ひとりでやる作業は元々好きだった?
ミキオ うーん。ひとりのほうが性に合ってるとは思う。わかんないけど。やっぱ誰かがいると甘えちゃうんだよね、多分。サボるっつうか。パーティーとかもさ、例えばキクチとサカイくんが青山Zeroで一緒に『HELlix』をやってるじゃん。ああいうのとかすげえ羨ましいなー、とか思うんだけど。でもそうなると多分サボるんだよね、俺。
──曲作りを誰かと一緒にしたことはないの?
ミキオ したことない。曲だったらぜひやりたいけどね。興味はある。
DJについて
──パーティーはいつからやってますか?
ミキオ 最初のEPが出て、DJのオファーがどれくらいあるかなあって、1年ぐらい実は様子を見てたの。でもこれがさ、思ったよりなくて。ナメてたなあ俺、DJをやりたかったら自分でパーティーやらなきゃダメだ、と思って。それが2017~8年ぐらいからかな。だからまだまだですよ、パーティーも。コロナもあってあいだが空いたり、また少しできるようになって、そこからまた空いたりとかさ。
──KOARAでやっている『STAMM』は毎回ゲストDJを呼んでいるけど、なにか基準はありますか?
ミキオ んー。DJを聴いてよかった人。あんまり遊びに行けてないけど、行ってないなかでも友達と一緒にやってるのを聴いてみて、とか。このあいだ出てくれたアツキくんは結構若いけど、前にContactでお互い一緒に呼ばれたことがあって、それでだね。
──パーティーをやるのは大変ですか?
ミキオ 大変ですね。大変だけど大きいハコじゃないし、やれる範囲で。でも楽しいね、やっぱり。パーティーをやってると思わぬことが起きたりするのよ。出会いもあるし。昔の新宿リキッドルームに行ってたっていう、全然知らない人が遊びに来てくれたりとか。なにかで見て、俺がフミヤさん周りの人だっていう認識があったらしくて。だってそんなのさ、パーティーやってなかったら出会えない人じゃない?面白いね。
──その人は声をかけてくれたからわかるけど、声はかけてこなくてもそういう人はいるかもね。
ミキオ かもね。でもさ、酒が入ってるときにこっちからあんまりずかずかと行って、第一印象で「なにこいつ!?」って思われると、ね……。
──思われる可能性あるよ、酔っぱらったときのミキオは(笑)。
ミキオ あるね。気をつけないとなあ(笑)。
──このままずっと音楽を続けられる感じですか?
ミキオ 続けたいね。DJは限られてるかもしれないけど。
──それは時間的な問題?夜中だから?
ミキオ いや……いけるか?いけるな!ははは。でもいくら歳くっても音楽はできるじゃん。そのこともまた音楽をやろうってシフトしたひとつのきっかけなんだよね。ジジイになってもできると思って。
──ジャンル的にダンスミュージックだからね。でもわたしが20代の頃にいちばん遊びに行ってた頃には、4~50代になっても遊びに行くなんてイメージできなかったけど、意外といけるんだなって思った。
ミキオ いけるよ。今はダンスミュージックだけど、もっと違うのをやってたりもあり得るし。エクスペリメンタルなのとか、アンビエントとか。
──そういうのはまだ作ったりしてない?
ミキオ それっぽいのにビートを入れたりはしてる。
──DJは基本的にヴァイナルでしょ?大変だよね、今。ここ1年ぐらいでかなり値段が上がったもんね。
ミキオ 大変。入荷が遅れるのもそうだし、コロナの後の、戦争の、インフレの、って、全部来ちゃったよね。若い子がデータにいくのわかるもん。
──わかるけど、そっちにはいかない?
ミキオ うーん……いかない。ジジイになって車いすとかになったらいくかもしれない(笑)。
──車いすでもやるんだ?
ミキオ 膝にきちゃって、とかだったらやるかもしれない(笑)。
〈Sundance〉からリリースされた2枚のEPについて
──新しいEP『SND 16』の曲はSoundCloudにあがっている自分のMIXにも入ってたね。
ミキオ 2曲ぐらい入れたね。現場でもかけるし。
"Hap Come Come""Hage Messy"
収録
──基本的にはダンストラックを作る感じ?
ミキオ ダンストラックがメインだけど、煮詰まったりするともうちょっとエレクトリックジャズっていうか、わりと自由にやってる。
──前回の『Midmorning EP』に入ってる"Something not to do but very fine"は、少しジャズっぽさあるよね。だからあの曲のイメージだと、クラブジャズ辺りを通ってきた人なのかな、と勝手に想像してたの。
ミキオ ああー。でもハードロックもテクノも聴いてた時期に、普通のジャズも聴いてたからね。あの曲さ、実は結構早い時期にできてたんだ。1枚目のEPが出たあとぐらいにはもう完成してて。でも「これを出すのはまだちょっと早い。」ってフミヤさんに言われて、寝かせてもらってたんだよね。
──早いっていうのは曲を出す順序として早いってこと?それは納得?
ミキオ うん。あの曲ね、その頃にフミヤさんから「銀座のスタジオを借りてピアニストのナカジマさんっていう人を招聘してレコーディングするから見に来ない?」って誘われて、「もちろん行きます!」って感じで行って。そこでフミヤさんのドラムとベースのトラックにナカジマさんがピアノを弾いてるのを見て、それに感動して。はじめてちゃんとしたレコーディングを目の前で見て、うわあって。で、その衝撃を曲に乗っけたいなと思ってさ、帰ってすぐその足で作った曲なんだよね。
──それ凄くいい話だね。だってフミヤさんから受け取ったものをちゃんと曲にして、そこで返してるわけだから、循環してるってことだもん。
ミキオ そうか。なるほど。
──普段、曲を作っててそういうことはあまりない?
ミキオ ないね。いつもはちょっとずつ作ってるから。
──こういう曲にしたいっていうイメージに向かって作る感じ?それともとりあえず作っていくうちにどんどん完成していく?
ミキオ 後者のほうが多いね。
──新しいEPも音がすごく豊かで、だけどしっかりまとまってるし、今回もすごくいいなと思います。曲を作ってるときはどんな風に使ってほしいっていうイメージはある?
ミキオ ああ……そういえば初期の頃の曲がDJで使いづらいなって自分で思ってて。DJの経験も浅かったから、多分その影響もあるのかなー、とは思うけど。
──最初に曲を作りはじめたときに、好きなフォーマットというか、誰みたいなとか、こういうテイストでというのはあった?そんなに闇雲に作ったわけでもないでしょ?
ミキオ どうだろうな。最初はやっぱりフミヤさんとか……。まあリカルドもそうかなあ。最近はあんまり考えないようにしてる。出てきたものを形にするっていうか。でも出ちゃってるんだろうね、無意識に。
──そもそも曲が作れるってことは、なにかしらインスピレーションがあるんだろうね。だってさ、ないものを作るわけじゃん。なかなか凄いことだよね。
ミキオ 出来上がってくると楽しいっていうのはすげーある。だんだん曲になっていくのが。そこに尽きるね。
──出来たときはもう、ばっちりって感じ?
ミキオ うん。全曲ね(笑)。やってるときはね。あとで聴くと全然ばっちりじゃないんだけど。
──自分自身でこれあんまりだな、と思っても、周りの人に褒められるときもある?
ミキオ いや、その辺ね、なくなりつつある。これよかったなって自分で手ごたえがあった曲は、フミヤさんが「この曲、出そう。」って言うから。やっぱそういうの大事にしたほうがいいんだな、って思うね。
──理解されてるね。だってフミヤさんに好かれようと思って、そういう曲を作ってるわけでもないでしょ?
ミキオ そうだねー。まあでも最初はそうだったよ。だって、リリースしてほしいじゃん(笑)。
──フミヤさんは……好きですか?
ミキオ はい(笑)。好きですね。師匠ですからね。一方的な。ははは。
──でもフミヤさんがミキオを気に入ってるのは、なんとなくわかる。あの界隈のなかでは明るさもあって、曲も地味なミニマルとはちょっと違う感じがするし。
ミキオ オリジナリティー出てる?よかった。
──出まくってる(笑)。今は基盤が出来上がって、すごくいい時期なんじゃないかなと。だからもっといろんな人にまず曲を聴いてほしいなって思いますね。売れないと。
ミキオ なんかアドバイスを貰えたら!
──申し訳ないけどわかんない!わかんないけど、でも自分の曲をDJで使うのはすごくいいと思うな。ミキオの曲って、結構ボイスサンプルとかも面白いじゃない?耳に残るし。少なくともわたしは、どこかで聴いた曲をまた別のところで聴いたときに、あの曲だ、って気になるから。そういうのは大事だと思う。
ミキオ じゃあもっとDJでかけよう。かけます、一生懸命(笑)。
2022年9月4日
溝の口 Cafe Mallory Wiseにて
ドイツの〈Sundance〉より4年ぶりのリリースとなるMikio Kaminakamura名義での通算5枚目のEP。
フロアで機能することがすでに実証済みの"Hage Messy"などインパクトの強い曲をはじめ、職人的な緻密さを備えたリズムが要のダンストラックは、DJツールとしてだけではなく幅広い音楽リスナーの心を掴む刺激的な音で構成されている。
なかでもひときわ異彩を放つ"Monk&Das"は特にオススメ。
Mikio Kaminakamura - SND 16
A1. Hage Messy
A2. Monk&Das
B1. Hap Come Come
B2. Snot Dive
B3. Soul Def
2022 Sundance
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