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aikoの「相思相愛」の歌詞が全く相思相愛ではない件について

aikoを愛して22年。自分はもう「aikoを受け取る側でなく、aikoを与える側の人間だ」と気づきました。少しずつでも皆様にaikoを与えるために文章をしたためます。

いよいよ時代がまたaikoに追いつこうとしている。

そう、「相思相愛」である。


aikoの45枚目のシングル「相思相愛」がYouTubeで1000万再生を超えた。とんでもない数字だ、フリーザの戦闘力の約19倍もある。

「相思相愛」は確かにaikoの魅力がぎゅっと濃縮された良曲であると思う。心地の良いサビはaikoの歌声とよくマッチしている。何度聞いても飽きが来ないスルメソングでもある。

ただひとつ、大きな問題がある。歌詞が不穏なのだ。

タイトルは「相思相愛」なのに内容は全く相思相愛ではないのである。


相思相愛じゃないことは1秒でわかる

あたしはあなたにはなれない なれない
ずっと遠くから見てる 見てるだけで

「相思相愛」


これが「相思相愛」のスタート部分だ。早くも相思相愛でない雰囲気が立ち込めている。

なんと言っても"ずっと遠くから見てる"だろう。相思相愛なら遠くで見るのではなく近くで見ればいい。不穏だ、不穏なのだ。

そしてすぐに相思相愛でないことが確信に変わる。

苦しい胸も幸せだったけど
もう何もかも海の中
粉々になった言葉も指も全部

「相思相愛」


粉々になっている。

もはやそんなに難しい歌詞解釈はないだろう。上の歌詞を見て「これは相思相愛ですか」と聞けば大半の人は「何かが違う気がする」と答えるのではないだろうか。

この他にも触れられる箇所はあるが、とにもかくにも「相思相愛」は相思相愛ではない。

ただ、それでもなお、「相思相愛」は相思相愛だ。

というか、もはや相思相愛よりも相思相愛。相思相愛を超えたスーパー相思相愛なのだ。

何を言っているのかわからないかもしれないが、落ち着いてほしい。aikoの深い深い相思相愛をここから堪能していきたい。


”あたしはあなたにはなれない”の探求


「相思相愛」がスーパーでハイパーな相思相愛であることを理解する上で重要な歌詞がある。それがサビの”あたしはあなたにはなれない”だ。

かつて、aikoは"あなた"と一体になることに幸福を感じる歌詞をよく紡いでいた。

そもそも恋人って あぁ 何だっけ?
どこからがあなたでどこからがあたしなの?

「サイダー」(「泡のような愛だった」に収録 2014年)

全部全部が知りたいと無我夢中で話した
好きなもの嫌いなもの 心の端っこまで

「「未来を拾いに」(「夢見る隙間」に収録 2015年)


恋愛において、"あなた"が"あたし"と同じことを考えている瞬間や、同じことに喜び、同じことを楽しむ瞬間は誰にとっても幸福なことだろう。

しかし、当然であるが"あなた"と"あたし"は別の人間であり、完全に一体になることは不可能だ。

でも、別の人間であるからこそ味わえる幸福もある。

"あたし"が"あなた"になれないことで感じられる幸福を描いた「だから」という曲がある。

あたしはあなたになれない
だからずっと楽しいんだよ
苦しくてもどんなに悲しくても

「だから」(「湿った夏の始まり」に収録 2018年)


「だから」でaikoが探求をはじめたのが"あなたになれない"ことの幸福だ。"あなたになれない"ということは、苦しくて悲しいことである。ただ一方で『だから』楽しいのだとaikoは見出す。

すでにお気づきの方も多いだろう。

「だから」と「相思相愛」では”あたしはあなたになれない”という全く同じフレーズが使われている。

「相思相愛」は「だから」から始まった「あたしはあなたになれない」という幸福の探求の延長線上、同一線上にある。

この探求を追っていくことが「相思相愛」を読み解く鍵のひとつとなる。

なぜ”遠くから見てる”のか


「相思相愛」には「だから」から連なる”あたしはあなたになれない”ことによる幸福の探求がある。とは言ってもまだまだ相思相愛には遠い。

改めて「相思相愛」のサビを見てみよう。

あたしはあなたにはなれない なれない
ずっと遠くから見てる 見てるだけで

「相思相愛」


次に気になるのは”遠くから見てる”のはなぜかということだ。

しかも”ずっと遠くから見てる”だ。いずれは近くに行きたいということもなく、遠い場所にいることをもはや望んですらいる。

ここでひとつの質問を投げかけたい。

では逆に「近くで見てる」は幸せだろうか。「ずっと近くから見てる」としたらそれは幸せなのだろうか。

近くにいることによる喪失を表した曲に「ゆあそん」がある。

あなたに想いが届いても食べて飲み込んだかは
あたしにはわからないずっと

「ゆあそん」(「ねがう夜」に収録 2022年)


また、「あかときリロード」でも近くにいることでのある種の諦念が感じられるフレーズがある。

毎日空が自分勝手であるように
あなたもあたしもきっとそんな風だよね

「あかときリロード」(2023年)


”あたしはあなたにはなれない”ということを知った上で、近くにいるということは残酷な瞬間に直面するということでもある。結局どんなに近くにいたとしても「あなた」のことを全て知るのは不可能なのだ。

つまりはこういうことが言える。

"あなた"と近くにいることでの幸福もあるが不幸もある。

それと同様に

"あなた"が遠くにいることでの不幸もあるが幸福もある。


言うまでもなく、aikoは天才である。


そのため、「近くにいることが幸せ」だとか「遠くにいると不幸せ」だといった早急な結論を出すことはしない。aikoがすごいのはどんな状態であっても幸せ(あるいは絶望)を見出し、曲として作り上げられる点だ。

そんな中で「相思相愛」は

「遠くにいる+遠くにいるからこその幸せ」

という組み合わせで幸福を描くというなかなか理解が難しいシチュエーションとなっている。

普通に考えると「相思相愛」であれば

「近くにいる+近くにいるからこその幸せ」

という真逆の組み合わせの方が相性が良いと思う。

しかし、この一見理解ができない組み合わせを描き切れるのがaikoだ。やはりaikoは天才だ。


月と目が合って笑う


「相思相愛」において"あなた"と"あたし"が遠くにいることがわかった。では、それはどのくらい離れているのだろうか。

結論からいうと、かなり離れている。ものすごくものすごく離れている。それは歌詞を見ればわかる。

しかし、いかに遠いかがわかるワンフレーズが「相思相愛」を相思相愛たらしめる。

あたしはあなたにはなれない なれない
ずっと遠くから見てる 見てるだけで
月と目が合って笑う

「相思相愛」


ここでの"月"は"あなた"の暗喩であるだろう。つまり、"あなた"と"あたし"は地球と月くらい、38万キロくらいに離れているということになる。

そもそも、人は月と目が合うということはあるだろうか。少なくとも僕は月と目が合ったことはない。

その上で、月と目が合ったと思うことはできる。月は何も語らないからだ。思い込む分には自由だ。

ただ、目が合うというのは片側からだけの視線では不可能で、双方向の意思と視線が必要だ。

つまり、月(=あなた)が"あたし"を向いていると思うことによって成り立たせている。もちろん月は何も語らないし、何の感情もぶつけてこないからこそ思い込む、あるいは思いを込めるということができる。

「相思相愛」で出てくるワードの多くが、上で記した月のような空虚さを持っている。「どこかにある地球」「どこかにある宇宙」「本当は無い世界」「本当は無い暗闇」と続いていく。

あたしはあなたにはなれない なれない
心を突き放す想いに暮れるだけで
こんな恋をした今を

「相思相愛」


「相思相愛」は報われることはない”こんな恋をした今を”歌った曲であるだろう。

ここまで来たところで最初の問いに戻そう。

「相思相愛」のどこが相思相愛なのか。

我々はすでにその答えにたどりついている。


「相思相愛」は相思相愛だ


もう一度、月の話をしよう。

"あたし"は月(=あなた)と目が合ったと思うことができる。ここでは実際に月(=あなた)と目が合っているかどうかはもはや重要ではない。なぜなら”あたし”と"あなた"は”ずっと遠く”だからだ。

”ずっと遠く”だからこそ、"あたし"は月(=あなた)がどう思っているかを自由に想像できる。そこではもちろん「"あなた"も"あたし"を思い続けている」という想像も可能だ。

仮に「近くにいる」だとしたらこうはいかない。

"あなた"は"あたし"に直接に思いをぶつけることができてしまう。時には目を合わせて笑えない日もあるだろう。喧嘩をしたり、嫌な面を見てしまってとても「相思相愛」ではいられない日もある。


「相思相愛」は

「近くにいる+近くにいるからこその幸せ」

ではなく、

「遠くにいる+遠くにいるからこその幸せ」

だからこそ、成り立つのだ。


このように書くとかなり気持ちが重いように受け取られるかもしれないが、恐らくここでのaikoの相思相愛の定義はどちらかという慈愛に近い穏やかなものではないかと思う。

あぁ君はもうひとりじゃないから
元気でいてね
たまに夢でと願う夜

「ねがう夜」 2022年


もちろん、ここまでに考察した内容とは全く違う考察も「相思相愛」では成り立つだろう。僕自身も自分の考察が100パーセント正しいとは思っていない。

そして、aikoの詩を読む楽しさはそこにあると思う。とてもわかりやすい言葉で綴られているのに、さまざまに豊かな解釈ができる。

また、「相思相愛」は今のaikoだからこそ作り上げることができた曲だとも思う。20代ではまだ難しく、経験を積んだ40代だからこその紡ぐことのできる境地だ。


aikoと共に人生を積み上げていける幸せを感じつつ毎日「相思相愛」を聞いている。ぜひ多くの人に積み上げられ続けているaikoのすさまじさを堪能してほしい。


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