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グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』

グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』小磯洋光訳、フィルムアート社、2019年

本書の原書のタイトルは『The Descent of Man』。「The Descent of Man」でググるとまず出てくるのはチャールズ・ダーウィンの同名の著書である。その邦訳は『人間の由来』もしくは『人類の進化』という題名になっている。おそらくそれなりに素養のある英語話者であれば、本書のタイトルを見るとすぐにダーウィンのことを思い起こすのであろう。したがって、ここでペリーは「man」を普遍的な「人間」や「人類」から「男性」へ、「descent」を「由来」や「進化」から「終わり」へと読み替えているのである。「man」で人間全体を表したダーウィンに対する皮肉を読み取ることも可能かもしれない。

本書はジェンダーに関する本であると言ってよいだろう。だが、通常ジェンダー関連書籍が女性によって書かれる傾向が強いのに対して、本書の著者は男性であり、加えてトランスヴェスタイトでもあるというところにこの本の特色がある。それゆえに、本書が取り上げるテーマは主に男性性に関わるものであり、トランスヴェスタイトとしての経験から「オールドスクール」の男性の服装や振る舞いに痛烈な批判が向けられる。そのうえで、ペリーは現代にふさわしい新しい男性性のあり方を提示しようとするのである。男性こそが読むべきジェンダー書である。

話は少しずれるが、


社会の進化において、現在のところ、並外れた能力のせいで差別が見えにくくなることがある。並外れた能力をもつ個人が求人に応募したり大学に出願した場合、その能力が輝くあまり、選考する者が抱いているバイアスは目立たなくなる。応募者の性・人種・階層は背景に姿を消し、その人の輝かしい能力がステージの真ん中に立つのだ。差別がよく行われるのは、飛び抜けていない二人の候補者を審査する場合だ。白人・ミドルクラス・男性だとありがたがられる。本当の平等とは、月並みな能力の白人・ミドルクラス・男性と同等に、どんな人にも(月並みな能力の女性、黒人やワーキングクラスの応募者でさえ)仕事のチャンスを与えることである。(p.42)


という本書の記述を読んで思い出したのは、かつて映画『ドリーム』(2016)を見たときに抱いた違和感である。ざっくりと言えば、この映画は、NASAで働く黒人女性の計算手たちが最初は差別を受けていたものの、その「並外れた」能力を認められ活躍の場を与えられて、最終的には有人宇宙船打ち上げ成功に大いなる役割を果たすといったサクセス・ストーリーである。この映画公開当時そして今でもいい話として消費されていたが、本当にそうなのだろうか。もし彼女たちが「並外れた」能力を持たず「月並みな」人間であったら、それどころか能力的に「劣った」人たちであったならばどうなっていただろうと僕はどうしても考えてしまう。そうであったなら、おそらく彼女たちは、「黒人は劣っている」という差別的なステレオタイプを向けられることに甘じ黒人は差別されても当然だとされて差別を受けたままであっただろう。差別を受けているグループのなかの「優秀な」人のみが取り立てるのは決して差別を乗り越えたことにはならず、むしろ差別構造を無意識に肯定してしまうことになる。差別が存在するか否かは「凡庸な」普通の人々、さらには「劣った」人々がどのように扱われているかという点にこそ現れるのである。『ドリーム』は反人種差別的に見えて、実際はそうした無意識の差別構造を是認しているように思えたということを、本書のこの記述は思い起こさせてくれた。


翻訳に関していくつか気になるところがあったのだが、一点だけ。
「男性省が長きにわたり続けてきた「古き男性プロパガンダキャンペーン」は、「村人コスプレパーティー」にそっくりだからである。」(p.83)という箇所に「村人コスプレパーティー」とある。これを読んで、イギリスにはみんなが村人のコスプレをしてパーティーをやる習慣でもあるのかと一瞬思ってしまったが、原書では「Village People-themed costume party」となっている。「Village People」が大文字で始まっていることから分かるように、「村人」という普通名詞ではなく、アメリカの音楽グループ「Village People」を表す固有名詞として取るべきだろう。


Village Peopleと言えば『Y.M.C.A』であり、『Y.M.C.A』と言えば西城秀樹である。どこかで見たか聞いたかした話だが、西城秀樹が『Y.M.C.A』をカバーしようとしたとき、レコード会社などから強い反対があったという。なぜなら、日本では今でもあまり知られていないかもしれないが、Village Peopleはゲイ向けのグループであり、『Y.M.C.A』もゲイに関する歌であったからである。本書のこの記述の直前に、「ホモフォビア」や「ゲイ」に関する言及があるところからしても、「村人」ではなく音楽グループの「Village People」と解釈すべきであろう。つまり、アメリカの音楽グループ「Village People」をテーマとしたコスプレパーティーのことをここでペリーは言っているのである。

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