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中島らも「白いメリーさん」書評(1)(評者:西 野乃花)

 1月7日は4回生の最後の読書会でした。2年間、約40本の作品を読んできましたが、最終回ということでなかなか感慨深いものがありました。最後の作品は中島らもの短編です。

中島らも「白いメリーさん」書評(『日本文学100年の名作 第8巻 1984-1993 薄情くじら』収録)
評者:西 野乃花

 私たちの生活には様々な情報が溢れている。全国ニュースになるような事件から親戚が身内だけに広げた朗報。誰かに知らせたくなる噂、自分の中だけでとどめておきたい事実。近年ではネットへのアクセスのしやすさやSNSの普及により、不特定多数の情報を安易に受け取ることができてしまう。しかし、その受け取った情報たちはすべてが正しいわけでもない。事実、嘘、事実の中に練りこまれた嘘、嘘が本当になった結果の事実。果たして、私たちは正しいものを見極められているのだろうか。
 中島らも著作「白いメリーさん」では、人の噂の不明瞭さ、地域の特色を見せる都市伝説、それらが一つのコミュニティに対してどういった影響を及ぼすのか、日常にじわじわと侵食してくるような気味悪さで描かれている。主人公は貧乏ライターを自称し、ちょっとしたネタであってもむしろそれを好む層がいるのだと、ガセネタと仮定しても釣り上げに行くような一子の父親であった。都市伝説を追うあまり、最後には娘を失ってしまうというなんとも後味の悪いような、切れが悪いような、それでいて嫌いではない結末だった。
 題名にある「白いメリーさん」とは何者なのか。メリーさんと言われて思いつくものといえばやはり電話をかけてくるあの都市伝説だろうか。メリーさんとは女の子で、英国の人形のような姿をしていたのではなかっただろうか。本作で語られている「白いメリーさん」は上記には当てはまらず、見かけた人が言うことには、実はそれは白いだけでなく赤いものも存在していて、しかし関東に在しているのは五十ほどのおばさんで、全身上から下まで何から何まで真っ白で、だから「白いメリーさん」なのだという。
 主人公は娘から得た情報をもとに目撃者に話を聞くが、誰もかれも自分が見たわけではないと話す。まあ、噂なんてものはそういうもので、最終的には“誰かがそう言っていた”、“誰かからそう聞いたんだ”などと話せば、嘘か本当かなんてわかりっこないのだ。人の噂の不明瞭さというものはここにある。そもそも噂(ゴシップニュース)、フェイクニュースや都市伝説などを楽しむ人たちは、それが事実であるかなどさほど重要ではないのだと思う。誰かから聞いたことをさらに人へと伝える。誰かが言ってなかったようなことを付け加えてみたりして。共有して盛り上がって、流行が過ぎたらまた違う話題。嘘か真実かはっきりさせることが目的でないのなら、当然その噂は不明瞭のまま誇張されそして萎んでいくだけなのだ。
 本作ではいくつかの都市伝説が取り上げられている。そのなかでも特に知名度が高いものとなるとやはり「口裂け女」だろうか。私が聞いている話では、口裂け女とはべっこう飴を渡せばおとなしくそれを食べるのでその間に逃げる怪異なのであるが、果たしてどこが誇張されてどこから取り入れられた情報なのかは全く知らない。対処法は地域によって違うと思っているので、もし私の地元である長野に口裂け女が出現した場合には、信州の二八そばでも持っていけばおとなしく啜っていてくれるかもしれない。その為には私が普段からそばを持ち歩かなければならないという課題もできてしまうのだが。
 ここで冒頭の、嘘が本当になった結果の事実、というものについて。これは警察ドラマなんかを見ていると犯罪者の中に模倣犯というものがでてくるが、それに似たようなものを感じる。いくつかのパターンがあると思うが、例えば、自分で流した嘘が思っていたよりも周りに大きく取り上げられてしまい、自作自演で噂を本当に作り上げようとするもの。過去に起きたことを神聖視していたり、興味を持っていることで、自分で再び噂を引き起こそうとするもの、など。このあたりの心理は犯罪心理学を学んでいないのであくまで目安である。嘘も嘘とばれなければ本当のこと。当たり前のことだが妙に納得できないこの腹立たしささえも、それが嘘だと知らなければ得ることのできない感情なのだ。

「いっしょに行こう。白く白くなろうね」

 この「白くなる」とはどういった意味があるのか。この場合、「白い」とは潔癖な様子を表しているのではないだろうか。一般的に白に反するは黒であることから、では「黒い」は何を意味するのか。私は嘘つきを「黒い」と考える。本作の最後に、主人公の娘が「白く」なりたかったのは、自分の日常を変えてしまった「黒い」噂から逃げたかったからなのかもしれない。「白いメリーさん」とは噂に振り回された人たちのシェルター的概念が都市伝説となったものではないだろうか。
 自分の口から離れた瞬間それらは自分の知らないところで大きくなり広がっていく。言伝のみだった時代とは違い、多種多様な道具―メディア―を介して広がるスピードは一瞬である。情報弱者にならないためにも、「白いメリーさん」の一人にならないためにも、一人一人による情報の取捨選択が必要だと考える。

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