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大島弓子「毎日が夏休み」書評(1)(評者:竹中菜南子)

12月24日の4回生ゼミは漫画回でした。大島弓子「毎日が夏休み」を読みました。

大島弓子「毎日が夏休み」書評(『つるばらつるばら』(白泉社文庫)収録)
評者:竹中菜南子

 毎日が夏休みだったらと考えたことは人生で一度はあるだろう。学校や仕事に行かずに明日からをどう過ごそうかと自分で計画を立てて、夏休みを堪能できる。そんな日々が毎日続くのなら、どれほど楽しいだろうか。しかし夏休みとは学校や仕事があるから存在する休みである。毎日が夏休みとはあり得ない話だ。だが、この作品の題名では毎日が夏休みと明言しているのだ。
 女子高生のスギナは母親と母親の再婚相手の義父の三人で新興住宅地の家で暮らしている。義父とは会話もなく、家族らしい生活は送れていないようだった。両親に内緒で登校拒否をしているスギナは公園で同じように会社を辞めて登校拒否をしていた義父と偶然に出会ってしまう。そこから二人はともになんでも屋の会社を立ち上げ、義父と娘という関係に加えて社長と副社長という関係になる。スギナはこの仕事や両親から影響を受け、仕事とは何かを学んでいく。
 スギナの母親は近所の人に見栄を張っていた。夫は有名企業の会社員で娘は優等生と自慢していた。一方、義父は娘とは会話もなくただ淡々と仕事をこなしていた。スギナもいじめから逃げ、公園でただ一日を過ごす日々を送っていた。しかし義父と偶然出会った日を境に三人の生活は一変していく。なんでも屋を通して自らやりたい仕事を計画して、実行する。そして幾度の失敗を経て成功を経験していく。母親は世間体を気にしてホステスの仕事をする代わりに二人のなんでも屋の仕事をやめさせようとするが、やりたくない仕事をしていたから疲労から入院することになる。それから一番に意地を張っていた元夫を頼ってスギナを助けるように言う。辛い仕事を経験し、病を経験し、そこでもう吹っ切れたのか見栄を張るようなことなくなり、最後には心のつかえがなくなっている。父親もやりたくない仕事を辞め、なんでも屋を初めてからスギナと父親らしい会話をするようになり、父親としての自覚を持つようになる。そして経験のない家事や仕事に翻弄されながらも、謙虚さを感じて今までよりも楽に仕事ができるようになっていく。スギナはその二人の仕事との向き合い方を学んでいく。そこからやりたいことやり、心を楽にして過ごす日々が夏休みのようだと感じ取っていくのだ。
 この作品で言う「毎日が夏休み」とは日々をどのように過ごしていくのかというところにある。作品には1から17の題名が書かれている。その一つに仕事の喜びについて書かれていた。

「仕事に喜びを見出すためには三つのことが必要である」
適性がなければならない
やりすぎてはならない
そして達成感がなくてはならない
                 ジョン・ラスキン

 これはスギナの母親が身をもって教えてくれたことだ。どれほど大変な仕事でも自分がやりたいと思った仕事であったり、それに達成感を感じることができれば、仕事を苦と思わずにできる。母親の喜びは夫とスギナを朝送り出し、家事に専念することだったのだろう。
 スギナにとって義父と始めたなんでも屋は夏休みの始まりだと考えていたようだ。毎日の生活を自ら考え、失敗を恐れず行動する。自分の人生を手に入れたような感覚だったのだろう。毎日が夏休みとは毎日をどれほど自分のために使えるかということだ。スギナにとってそれが学校に行って、できない勉強を毎日することではなく、義父とともに仕事とは何かを学んでいくことだった。最後にスギナは「ああ わたし いっぱい仕事がしたい!!」と感じている。私もこれほどにやりたいと思える仕事を見つけることができれば、毎日が夏休みのように日々を気持ちよく過ごせるのだろうか。


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