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大島弓子「四月怪談」書評(2)(評者:吉岡渚)

大島弓子「四月怪談」(白泉社文庫『四月怪談』収録)

評者:吉岡渚

  四という数字は日本では死と同じ発音をする為に忌諱されている。怪談ともあればそれをいっそう掻き立てる。四谷怪談という一字違いが存在するせいかもしれない。けれども、一字異なれば意味も大きく異なる。日本での四月は入学式や入社式と新年度が始まる、始まりや出会いの季節と呼ばれる。この物語も、怪談とついているが四月のタイトルの通り出会いと始まりの物語である。
 主人公の国下初子は登校中の事故により死んでしまう。霊になった初子は霊の岩井弦之丞と出会い、生き返るよう忠告される。しかし、幽体離脱を謳歌したい初子は好奇心のままにテレポートを行使した。その過程で初子は弦之丞の事情、夏山登との語らい、失恋、思い出の場所の喪失を経験することとなる。いざ、生き返るその時になると初子は生き返ることを止め、弦之丞にその権利を譲ると言い始める。弦之丞はそれを拒否し初子と言い争いになる。堂々巡りしたそれは、火葬の時間が迫ることで現状を回避できる能力を持つ夏山昇へと託された。夏山登と初子の母の懇願により火葬は回避され、初子は弦之丞と共に自身の体へ戻り生き返ることとなった。
 この物語の鍵となるのは初子の好きなレンゲの花である。レンゲ草とは蓮華に似ているからそう呼ばれる花である。蓮華の花は仏教のシンボルであり、仏教では尊い仏の悟りを意味する。また、死後の極楽浄土にて蓮華の上で生まれると死とも深く関わる。レンゲ草にはゲンゲという元の名前もあるが、ここではレンゲと表記された点を重視して、初めに述べた四と死のように同じ音であることを意識して読み解いてみたい。
 主人公の初子は自分の死について自覚するも、どこか危機感を覚えずにいた。終盤では、自分が生き返ることを取りやめる行動に出る。初子のそれは、あれほど執着していた想い人への失恋や好きだった場所の喪失を経て初子の執着を削り取った故の結果と考える。これらは初子を悟りへと導く過程のように見える。日本では死んだ人間は仏様となる。初子は最後に弦之丞と一つになった。それは性別を持たない仏様となったように受けとれる。そして初子はレンゲを持って新たに生まれ変わったのだ。初子と弦之丞は互いに失ったものを補完したのだろう。同物同治、体を失った弦之丞は初子の体を、生きる気力を楽しさを見出せなかった初子は弦之丞の心を取り込むことで補完したのだ。レンゲの花言葉は私の苦痛を和らげる、あなたがいれば私の苦痛は和らぐというものである。その言葉の通り、互いが互いの苦痛を和らげ一つになった。レンゲを持ち生まれ変わった初子にとって世界は極楽浄土となった。まさしくこれは、初子にとって出会いであり始まりの物語であった。

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