見出し画像

【小説】やさしいレンズ②

(①)
 次に見かけたとき、ユウトは駅のポスターの前に立ち尽くしていた。カメラもノートも持たずに、ただじっと見つめている。映っているのはやはり電車だったが、いつも僕が乗っているものではなく、ずいぶん年季の入ったものだった。
 すると突然、ユウトはその場にしゃがみこんだ。
「どうした?」
 慌てて駆け寄ると、ポスターの字を読んでいるのだった。
「……やっぱり。これ、ゆかり号だよ。昔、母さんと乗ったことがある」
「へ、へえ……」
 確かに、ポスターの隅には「ゆかり号」と名前が載っていた。
「じゃあ、また母さんに連れてきてもらえばいいじゃないか」
「死んだよ」
 僕は言葉を失った。しかしユウトは、平気な顔で続けた。
「ずっと前に。病気だったと思う。……そしたら、代わりにカオリさんが来た」
 ユウトが言うには、カオリさんは普段は優しくてご飯もおいしいが、何か粗相をしたときには、とても厳しく叱るのだそうだ。ユウトが駅に通っていることも、あまりよく思っていないらしい。
「電車なら図鑑を買ってあげるから、勉強しなさい!って、いつも言うんだ。もう、耳にたこができるね」
 黙って聞いている僕に、でもね、とユウトは言う。
「僕、学校の勉強なんてつまんないよ。電車の方がいい。電車が好きなんだ。いつか車掌になって、ゆかり号と一緒に走りたいんだ」
「うん。……なれるよ、きっと」
 お世辞ではなくて、本当にそう思った。未来への期待に輝いた目が、そう感じさせるのかもしれなかった。僕の言葉に、ユウトは嬉しそうに笑った。
 ある朝、僕はテーブルの上の新聞を見てぎょっとした。「ゆかり号運転終了」の見出し――何度見直しても、写真に写っているのはあの電車そのものだった。
「どうしたの?」
 新聞を読む姿が珍しいのか、母が手元を覗き込んできた。記事を見るなり、ああ、とため息をつく。
「あの電車ももう古いからね。私も学生時代はよく乗ってたわぁ」
 語尾に懐かしさが滲み出ていて、本当に古いのだろうと思った。記事によると、今は一日に一本しか走っていないらしい。頭の中で、かつてのゆかり号が走り出す。まだ新しい車体は藤色に光って、規則的に揺れる。車輪を軋ませながら、川の上、道路沿い、踏切を抜けていく。
 それから、嬉しそうに夢を話す少年の姿が頭をよぎった。いつか車掌になって、ゆかり号と一緒に……。
「ごちそうさま」
 僕は残りのご飯をかきこみ、足早に家を出た。心の中にふつふつと、シャッターへの欲望が生まれるのを感じながら。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?