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愛してやまない松本山雅FCと、サッカーのこと

サッカーの、さの字も知らなかった。
2017年のことだ。それが、どうだ。今じゃJ3リーグの昇降格にまで一喜一憂する有様だ。

松本山雅FCのサポになって、私はまだ、たったの3年。
だけど、もう人生に欠かせないものになってしまった。

初めに言っておく。今回のJ2降格を、私は妥当な結果だと思っている。
だから、この記事にはネガティブな愚痴を書く目的はない。サポ歴たった3年の、サッカー経験があるわけもないド素人の私が、それでも如何に松本山雅FCが好きなのか、どれだけの熱意をもってサッカーを観ているのか、それをただ、余すところなく書きたいだけの記事である。

妥当な結果だとは思っている。が、それは、つらくないのとは別だ。
ただ、つらいのだ。自分の大好きなものが、苦境に立っているのがつらいのだ。
それを受け止めることが苦しくて、そして、変わらなくては強くなれないことが、ひたすらに悔しいのだ。


まだチャントもしっかり歌えず、ホームゴール裏が怖かった頃の写真だ。
アルウィンに行ったのは二回目で、でも、とにかく気持ちがよかった。天気もよくて、少しだけお酒も飲んで。ルールも、選手もろくに知らない。勿論ユニフォームなんて持っていない。でも、いま思い出しても、私の中で一番楽しかった試合。
サッカーって、そういうもので良いと思う。私は素人のままで、これからもずっとサッカーを観ていくのだと思う。

初めてアルウィンに行くことになったとき、私は当時の夫に尋ねた。
「サッカーのルール分からないから、最低限これだけは、っていうこと教えて。」
夫は言った。
「ボールが相手のゴールに入ったら一点だよ。」

いや、馬鹿にしてるでしょう!
そう言って怒ったのを覚えている。いくらなんでもそれは知ってる。サッカーって難しいじゃん。オフサイドとか、ポジションとか、色々あるじゃん!

でも、本当にそれだけだった。

たったそれだけが分かれば、サッカーは楽しめる。特に、松本山雅のサッカーは。

松本山雅は上手なサッカーを売りにしていない。とにかく『走る』チームだと言われていた。走って、走って、泥臭く得点を狙う。その一生懸命さがいい。だが、それが分かるのは、もうサッカーを嗜んでいる人だ。初めて観戦に行く素人にとってそんなことはどうでもいい。セットプレー?クロス?何じゃそりゃ。分かる言葉で説明してくれ。GKが蹴る時と、角から蹴る時の違いは何だ?あの四角はどうやらペナルティエリアと言うらしい。観衆の沸くタイミングも、あ、今はどうやら面白い展開なんだな?という感じで、正直よくわからない。じゃぁ、何を見るのか?
ボールである。ボールと、その近くにいる目立つ選手。

例えば、高崎寛之選手。
私が初めて覚えた選手だ。プレーを見て純粋に「格好いい」と思って、魅了された初めての選手。
(蛇足だが、名前を知っているJリーガーなら何人かいた。敬愛する田中隼磨選手もその一人なのだが、知名度が先行してしまったのと、残念ながら彼のポジションは初心者が理解するには難しすぎた。)
なぜ、高崎選手が目を引いたのか。それは得点を決めたからだ。初めて観戦した試合で、しかも2得点。大型ビジョンに映されるキメ顔と、場内に響き渡る名前。チーム内で一番点を取っている、大活躍しているストライカーだと、後で調べて知った。ストライカー、という言葉すら当時は知らなかったけれど。

今では当然のように、チーム内すべての選手が分かる。橋内選手の渋さ、飯田選手の迫力とクラブの歴史。藤田選手の『仕事ぶり』、守田選手のビッグセーブの数々。そして、田中隼磨選手。たくさん、たくさん好きな選手はいる。もちろん、反町康治監督も。けれど、それらは皆、後から勉強して知ったことだ。あの試合、あの瞬間に、高崎選手が得点を決めなかったら、もしかしたら私はサポにならなかったかもしれない。「うわ、格好いい!」と思ったから、「またあの人を見たい!」と思ったのだ。そして、御本人が格好いいのも然ることながら、チャントがまた抜群に格好いいのだ。SEE OFF(当時はそんな曲名も知らなかった)と、立て続けに高崎選手のチャント。これだけは用意しろと言われたタオマフを、何も分からないまま振り回して(しかもバックスタンド席なのに!)、でも、とても高揚したのを覚えている。

初めて観たその試合で、松本山雅は4-0で勝利した。気持ちがよかった。意外と面白かったなぁ。暇だったらまた来てもいいかな。そう思った。

次の観戦は、なんとアウェイだった。夫が昔住んでいた金沢市に、観光がてら応援しに行こう、というノリだった。わざわざアウェイの地に足を運ぶようなビギナーなどほぼいない。そのことに、西部緑地公園に着いて初めて気が付いた。アウェイ自由席いっぱいに緑のユニが溢れかえっている。その誰もが、立ち上がってチャントを歌っている。恐ろしいところに来てしまった。よく見えるところがいい、とゴールの真裏に席を取ってしまったことに心底怖じ気づいた。試合が、はじまるまでは。

うろ覚えのチャントを歌い、飛び跳ねる。私はチビなので、飛び跳ねないとピッチが見えない。ボールの行方に一喜一憂し、自然と応援の声が漏れる。込み上げる感情を、どうしようもない熱を、ぶつけるためにチャントを歌うのだ。『今日も一つになって、追い求めろ、俺らと!信州松本のFootballを、行け山雅!』
気付けば、もう夢中だった。たった2回目の観戦。そんなことなど忘れて、まるでずっと山雅を見てきたかのように応援していた。流れのよくない重たい前半、怒涛のゴールラッシュの後半。サッカーの知識なんてない。でも、空気で、雰囲気で全てが伝わる。そして、得も言われぬ熱さで身体が勝手に叫ぶのだ。楽しい!何も分からないのに、なんて楽しいんだ。『止まらねえ、俺たち松本!暴れろ、荒れ狂え!!』タオマフを振り回して、見知らぬ周りのサポとハイタッチした。その試合でまたしても、松本山雅は4得点して勝利した。

もう、病みつきになっていた。一刻も早くチャントを覚えて、あのゴール裏に混ざりたい。もっと、何の引け目も感じないくらいに勉強したい。松本山雅を、サッカーを、もっと知りたい!
恋に落ちた、どころではない。そのシーズン、私は合計3枚のユニフォームを購入した。大枚を叩いたものだと思っている。J1に昇格した今シーズンも、新たに2枚。私の仕事は不定休だが、迷うことなくシーズンパスを継続購入している。愛はお金ではない、でも表現の一つだ。ビジネスの場でお金を払えば、それは間違いなくクラブチームに還元されるのだから。大好きな選手のユニを買うことで、「貴方を応援しています、貴方に力をもらっています!」と伝えられるのだから。

山雅サポの応援は凄い。色んなところで、多くの人がそれを言う。アルウィンの雰囲気は忘れられないと。でも、私はそれを凄いと思わない。
だって、私の知っているサッカーは、初めからあそこなのだ。当たり前の光景なのだ。ゴール裏の隅々までサポがひしめき合い、バックスタンドやメインスタンドの観客までもがタオマフを掲げて中央線を歌う。初めて観戦に行くときから「絶対に持っていけ!」と、先人達がこぞってタオマフを貸してくれる。ちっとも『特別なこと』なんかではない。いま、松本山雅を好きになるってことは、そういうことなのだ。それは、なんて幸せなことなんだろう。


J1リーグは『上手なサッカーが強いところ』だと思う。例えば川崎フロンターレ。或いは、鹿島アントラーズ。横浜・F・マリノスも、文句なく強いクラブだろう。でも私は松本山雅がいい。パスの精度、ポジショニング、ハイライン、そんなことを勉強しなくても楽しめるサッカーが良かった。J1に昇格したばかりで観た試合はつまらなかった。山雅が勝てなかったからではない、何が起こっているのかよく分からなかったのだ。ついでに得点も入らない。気休めにJ2の試合を観て、あぁこっちのほうが面白いや、と思ったものだ。
それが、たった1シーズンで、J2よりJ1のほうが面白くなってしまった。ただ松本山雅を好きでいただけで、特別な勉強など何もしていないのに。時々は代表戦を観て(前田大然選手が選抜されたあたりから、だ)、そこにいるJリーガーを覚えて、名前を対戦相手に探したり。または、山雅から移籍していった選手の活躍を追ったりして(前田直輝選手と石原崇兆選手、鈴木武蔵選手が御贔屓だ)、そのうちに気が付けば色んな選手を覚えて、対戦相手のチームカラーを何となく掴んでいた。誰が何をやっているのか、どんなことが得意なのか。強いクラブはなぜ強いのかを、何となく分かるようになってしまった。そして、そこで勝つために、松本山雅に何が足りないのかを。 

ド素人だった私でも、少しくらいはサッカーを語れるようになった。オフサイドも説明できるし、移籍情報を見て戦術を想像してみたりする。それはきっと成長で、楽しみ方が増えたってことだろう。でも、それと引き換えに、純粋な「楽しい」という気持ちを忘れてしまいそうになる。
上手さではなく泥臭さで勝負するサッカーを、ふと「弱い」と思ってしまうのが、たまらなくつらいのだ。
私の知っている松本山雅FCは、J1のクラブになることを目指していた。再び昇格して、そして、一年でまた降格してしまった。これからも、そこを目指し続けるのなら。『強い』クラブになりたいのなら。きっと変わらなければいけない時がきたのだと思う。

満員のゴール裏を『当たり前の光景』と思えるような、私はまだまだ新人である。松田直樹選手も、JFLも、北信越も知らない。でも、今の松本山雅のことは、たくさん知っている。サッカーなんて観たことがなくても、ルールなんて分からなくても、ただ「楽しい」。そんな松本山雅を、私は好きになったのだ。だからこそ、悔しく思うのだ。難しいことなんてない、サッカーの経験も必要ない、ただ「楽しい」という感情だけでも観に行けるサッカーが、そんな松本山雅の最大の魅力が、トップリーグでは通用しないのか。そこに行けるくらい強く変わっていくことと引き換えに、そんな山雅の魅力を失ってしまわないだろうか。もしかしたらあの日の私のような『サポーターになったかもしれない人』を、置き去りにしてしまわないだろうかと。 

埼玉スタジアムで浦和レッズに勝利したとき、手足が震えた。「勝った・・・・・・」と、しばらく茫然とした。そして、思った。ビッグクラブは絶対的格上。そう思っているうちは、松本山雅FCはきっとJ1に残れない。
私たちは歌ったのだ。『蹴散らせ、浦和!!』。このチャントが、他サポから評判が悪いのを知っている。なんて怖いもの知らずなんだ、と肝を冷やしながら、でも、蹴散らせ、やれるはずだ!だって泥臭く走り続けて、同じリーグに上がることができたんだから!
強くて面白いクラブがいいなら、他にも幾らでもある。違うのだ。強いサッカーが見たいんじゃない。私は、松本山雅に強くなってほしいのだ。勝てないときも、苦しいシーズンもある、それでも強くなるために走り続ける松本山雅を、ずっと応援したいのだ。

『どんな時でも俺たちはここにいる!愛をこめて叫ぶ、山雅が好きだから!』 

ただ、観ているのが楽しい。点が入れば嬉しい。声を枯らすほど歌って、叫んで、それで、できれば勝ってほしい。選手が一生懸命走ってやり切って結果が出れば、それに元気をもらって頑張れる。
上手でなくてもいいから、ひたむきに努力を積み上げて、そして強くなってほしい。これだけ多くの人を魅了する松本山雅のサッカーが、その魅力のままに上に行ってほしいと思う。ただ上手くなることが、サッカーの強さじゃない。多くの人に、それを見せつけてほしい。「勝って嬉しい」というだけではない、どんな人でも楽しめるサッカーであるように!

それが、私が愛してやまない松本山雅FCの魅力だから。




「山雅の試合、一度くらいは行ってみたいんだよね。でもサッカー観たことなくて。」そんな人を、今ではもう誘う側になってしまった。
2018シーズンに観戦デビューした友人に、私が伝えたのはこれだけだ。

「ボールが相手のゴールに入ったら一点だよ。後は何にも知らなくても、選手かボール見てれば大丈夫!」
「困ったら9番か、8番の選手を見てると面白いよ。7番は足が超速い。ちなみに、私が大好きなのは3番ね!」


次のシーズンは、誰を見ているだろう。

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