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『愛をこめて叫ぶ、山雅が好きだから』

チャントを歌うのが大好きだ。

まず、歌うのが好きなのだ。学生の頃は混声合唱をやっていた。カラオケにも散々通っていた。
社会人になってからはそんな機会も減り、時々人前で歌うことがあったりしても、なんだか照れが混じってしまう。
ゴール裏は最高だ。どれだけ声を張り上げても、音を外して叫んでも、誰も気にしない。それどころか、選手の後押しになるのだ。

歌は上手いほうだと思う。最近はツエーゲン金沢の兼任サポをしているのだが(小松蓮選手のチャントはとても格好いい)、「お姉さん、歌うまいね!」と西部緑地のゴール裏で声をかけてもらった。覚えたてのチャントばかりなのが新鮮で、恥ずかしげもなく大声で歌っていたせいだ。少し照れるが嬉しい話である。
もちろん、アルウィンでも全力だ。『蹴散らせ』は忠実にマイナーコードで歌おうと頑張っているので、ときどき周りの人たちと不協和音になっている。『バモバモス』や『リボルバー』の合いの手は女性の声が少ないのでまだ照れがあるのだが、熱中するあまりそんなことは気にならなくなってしまう。

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ゴール裏は楽しい。いろんな日常を吹っ飛ばして、ただ夢中になれる。勝っていようが負けていようが、その瞬間を楽しんでいるのは変わらない。もちろん『SEE OFF』が歌えればもっと最高だし、セットプレーのときの高揚感といったらもう、言葉にできない。

『マツ・モト!!Let's GO!!!』

このチャントは、屈指の格好良さだと思っている。高揚のままに腕を振り、手拍子をし、そして、ゴールが決まった瞬間の興奮といったら!
でも、どんなに熱狂していても、ひとつだけ気を付けていることがある。

ブーイングをしたくないのだ。

最高の流れが、ふとした拍子にひっくり返ってしまうことは、よくある。劣勢を立て直せず押し負けているときや、ミスが目立ったり。納得のいかない展開になったとき、つい、声が漏れてしまうことがある。
周囲から、時には怒号のような、悲鳴のような言葉が飛ぶことがある。そんなとき、私は声を更に張り上げて、チャントを歌うことにしている。別に正義ぶるつもりはなくて、ただ私が松本山雅を観に行くときに求めているのが、そういうものじゃないのだ。
ときには必要だ、という意見は頷けるものがある。でも私は、ブーイングをしても楽しくないのである。


忘れられない試合がある。
2018シーズンの、ホーム大分戦だ。

当時はまだメジャーでなかった、Jリーグジャッジリプレイにも取り上げられた。反町監督も、試合後インタビューで苦い顔をしていた、あの試合。
悔しかった。ゴール裏でタオマフを握りしめて、ただひたすらに悔しかった。何か言いたくて、でも最後まで見届けなくては何も言う資格はないと思って、タオマフを噛んで堪えた。目が逸らせなかった。試合の展開はもうあまり覚えていないけれど、涙を堪えられなかったのは、そのときが初めてだった。
ピッチでは選手たちがずっと走っているのに、歌えなくなったのだ。

まだまだサッカーが分からない私ですら、思うところは沢山あった。余韻を引きずったままネット媒体を漁っては、ネガティブな言葉が溢れているのをたくさん見た。 やるせなさのあまり、どうにかして吐き出さずにはいられないのだろう。心あるサポほど怒ったり、批判的なことを言わずにいられないような、そんな雰囲気がつらかった。私が選手に届けたいものは、決してネガティブな言葉じゃない。
前を向いて闘ってほしい。頑張ってほしい。負けないでほしい。ただ、それだけだ。そして、そう思うのはきっと私だけじゃないだろう。

そのことを、苦しい試合のときにはいつも思い出す。あの悔しさを思い出して、歌いたかったけれど歌えなかった自分を思い出して、できるかぎりの声で歌おうと思っている。
直視できなくても、せめてその場にいて応援できるように。今年はそんな日が多かったけれど、だから私はそれでも、アルウィンに行くのが楽しみだった。

ブーイングが多くなりがちなとき、つらい展開のとき。南ゴールの爆心地からの歌声が、より一層大きく聞こえるときがある。

『立ち上がれ、俺らが松本!さあ全てぶつけようぜ、勝利のために!!』

それを耳に、負けないくらい大声で、私はいつも歌う。たとえ試合に集中できないようなときも、ただ歌うことにいつも没頭している。ぶつければいい、歌え!!荒い言葉じゃなく、応援の声で叫べ!そんなふうに言われている気がするのだ。

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『松本、俺の誇り!勝利の道行く街、さあ行こうぜ緑の友よ!遥かなる頂へと!』

パウリーニョ選手が、昇格を決めたあのとき歌ってくれた。
選手には、ちゃんと聞こえているのだ。私たちの声が、言葉が聞き取れるほどに。それが嬉しかった。それは、松本山雅のサポーターが持つ大きな力だろう。
だったら私は、選手の力に変わるような言葉を届けたい。そして、また新しい選手が覚えてくれるほどに『勝利の街』を歌いたいと思う。


友人に、J3クラブをいくつも兼任している、熱狂的な山雅サポがいる。
彼は今年、あの天皇杯の八戸戦を、アウェイ側で観戦したそうだ。少数精鋭でも物凄い迫力だった紅チャントを熱唱できたのは、最高に気持ちがよかったと話してくれた。
そして、相手側にまわってみて、改めて山雅サポの凄さを感じたのだと言う。

それを私も体感してみたい。
だから、もしも山雅が降格してしまったら・・・・・・次のシーズンは金沢サポとして観に行こう。夫とそう約束していた。もちろん、ホームもアウェイも、どちらもだ。

『おお松本、どこへ行っても、俺たちの街へと勝利を持ち帰ろう!!』

私はこのアウェイチャントが大好きだ。この歌の力強さを西部緑地でどれだけ体感できるのか、今から楽しみでならない。アルウィンでは『誰にも好きにはさせはしない!』と、凄まじく圧倒してほしい。もちろん、金沢のチャントを熱唱して応戦するのだって、楽しみでならない。金沢のチャンスチャントだって、なかなかに格好よいのだ。『パッション』のような揺れは、松本山雅では体感できないものがあるし、それに、白井選手のチャントだって歌える!

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パラパラナイトに、あるいは1万人チャレンジデー(ホーム琉球戦、来場者はなんと13070人!)に、赤いTシャツを来てこっそり乗り込んだ山雅サポは少なくないと思っている。そして、そのまま金沢の魅力にやられた人は、私を含めて何人もいるのではないだろうか。金沢は、スタジアム企画がとても面白い。しかも、積極的に得点を狙いにいくサッカーをする。たとえ守備を突破されてしまっても、ゴールマウスには白井裕人選手がいて(彼のチャントはももクロの『GOUNN』である)、鉄壁のシュートブロックを見せてくれるのだ!
余談だが、私は今夏に販売された黒ユニを買ってしまったので(格好良すぎて我慢できなかった)、黙っていればもう立派に金沢サポである。


どこにいたって、私は全力でチャントを歌う。そのときに着ている色と同じ選手を応援する。
「選手は移籍できるけれど、サポは移籍できない」なんてことを聞いた。私は、そんなことはないと思うのだ。こんなに多くのクラブがあって、みんな魅力が違うのだ。色んなところを応援したっていいじゃないか!どのクラブだって、それぞれに目指すものが違えども、一生懸命なのだから。

そして、たまには外から見てみると、松本山雅の応援の凄さというものが分かったような気がして、少し誇らしくなる。そこに混ざっていたくて、またアルウィンに行きたくなる。あの圧巻の空気の中で、また歌いたくなるのだ。

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ピッチ練習中に、スタグルを楽しんでいることがよくあった。
これから90分以上、叫び歌わなければならないのだ。腹ごなしをして、喉を温存しておかなければならない。響き渡る選手チャントを聞きながら(田中隼磨選手と高崎寛之選手、町田也真人選手のチャントだけは欠かさず歌っていた、特別な御贔屓なので)、蕎麦をすすったり、ケバブを頬張ったり。或いは、間に合わなくてスタグルの列に並んでいたりした。

歌わなかったことを、いま本当に後悔している。
いつもいつも歌っていた飯田選手のチャントが、もう歌えないなんて。岩上選手が再加入してくれたとき、あれが歌えるんだ!と嬉しかったのに。前の記事にも書いたことだが、私は高崎選手のチャントが大好きだ。どの選手のも、もっともっと歌いたいし、歌いたかった。
スタグルはとても魅力的だが、私はあらかじめ腹ごなしをしてから向かう必要がありそうだ。

来年は、高崎選手のチャントを、アウェイ側で歌っているのかもしれない。

そして、田中隼磨選手のチャントを、彼が引退するまで歌い続けられることを願っている。

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