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いつかあなたに飛んでほしい


私の彼はファイターパイロット志望だった。


ファイターパイロットとは、戦闘機を操縦するパイロットのことである。
危険な職業だ、と誰もが思うだろう。なぜ、なりたかったの?と、私は何度か尋ねたことがある。今でも時々、確かめるようについ尋ねてしまう。

その答えは、いつも決まっている。

「空を飛びたかったから」




私と彼との出会いは、鉄道に乗ってスタンプラリーをするゲームだ。
そのコミュニティで、私たちはそれぞれ小説を書いていた。いわゆる二次創作である。

成田空港へと路線をつなぐ京成スカイライナーを擬人化したキャラクターが、彼の「推し」。
飛行機が大好き、という設定の彼女を戦闘機に乗せて、ドッグファイト(戦闘機同士の空中戦をこう呼ぶ。犬の喧嘩で尻尾を追いかけ合う様子に似ているから、らしい)をする小説を彼が書き、私がそれを読んだ。
そして、その瞬間から私は彼のファンになった。

「有川浩みたいで大好きです。自衛隊三部作のファンなんです」

はじめて送ったリプライにそんなことを書いた。なにか言葉を送らずにいられなかった。
男性的な力強い筆力と相反するような、繊細で豊かな感受性に裏打ちされた表現力。私は、そんな彼の言葉がとても好きだ。
夕焼けの雲の中をコックピットから見た景色は、彼曰く「フルーツオレの中を泳いでいるよう」。空と、夕焼けと、そしてフルーツオレが大好きなのは、お付き合いをはじめてから知った。


幼い頃から乗り物が大好きで、とりわけ飛行機を愛していたと言う。

いつからかパイロットになるのが夢だった、と話してくれた。それも、旅客機ではなくて戦闘機の、だ。
たくさんの人を運んで安全に空を飛ぶより、たった一人で自由自在に飛び回ってみたいのだろう。空は、どこまでも自由で恐ろしいところだ。とてもじゃないが、私は怖くて行かれない。

彼は自由でいたいのだ。そして、私はそんな彼がとても好きだ。
空に行きたいと言うなら、私は止めない。一緒に来てほしいと乞われれば喜んでついていくし、待っていてほしいと言うのなら、地上から毎日夕焼けを数えて待つだろう。フルーツオレを飲みながら。


パイロットになるための身体規格は非常に厳しい。
身長、体重、体格はもちろん、空気の薄い高度何万メートルという場所でアクロバットをするため、想像もできないような負荷に耐えられる強靭な身体を持っていなくてはならない。

飛びたいという夢を持って、19歳だった頃の彼は航空自衛隊の養成学校へ入学した。

そして、不慮の事故に遭って、その夢を永久に断たれてしまった。



私の彼は、とても心が強い人だ。

私と出会ったとき、もう彼は夢を諦めた後だった。
そして、自分の身体で飛ぶ代わりに、愛するキャラを、文章の中で自由な空へと解き放っていた。

松本空港のお膝元に暮らす私にとって、飛行機は身近な存在だ。
のそのそと地面を這う大きな旅客機は芋虫みたいで可愛らしく、いつまでも眺めていられる。でも、どうやら私が心惹かれるのは、空を舞う戦闘機なのだ。アフターバーナーを全開に焚いて、雲さえも切り裂く超音速。活字でしか読んだことのないその姿を、脳裏に思い描いては肌を粟立ててしまう。

それに気づいたのは、彼の書いた小説を読んでからだ。『塩の街』の電撃文庫版にだけ載っている、秋葉二尉が飛ぶシーンをはじめて読んだときのようだった。ゾクゾクして、夢中になって、もっと読みたいと思う、あの感情だ。

早く次の話を書いて、と、繰り返しせがんだ。
続きを待ちながら、何度も読み返しては思う。ああ、この人、本当に飛びたいんだなあ。


そんな彼の英才教育のおかげで、気付いたら私にも推しの飛行機ができてしまった。

彼が作ってくれたスホイ。左のチェキは彼の推しキャラを私が描いたもの


乗り物が大好きなのと同じくらい本の虫で、戦闘機の物語を何冊か貸してくれた。


ずっと観たかった映画を一緒に観て、映像の美しさにふたりで息を呑んだ。


はじめてのデートでセントレアへ行って、時間を忘れてずっとスカイデッキで飛行機を撮り続けた。何枚も、何枚も。離陸するたびに、あれはどういう飛行機で、どこの国のものなのか、いつ作られた規格なのか、そんなことをたくさん、たくさん話してくれた。


彼は今でも自由だ。いちばんの夢が叶わなくても、好きなことをたくさん持っている。
職業は鉄道関係だし(結婚するので転職するが)、休日はバイクでどこまでも走っているし、鉄道、バイク、フェリーを駆使して、ほとんど日本じゅう行ってしまったようだ。

一人で自由を愛していたはずの彼が、いまは私を後席に乗せて、一緒に連れて行ってくれる。
一人じゃなく、ふたりで歩む自由な人生を考えてくれる。

私たちの子どもは、間違いなく乗り物が大好きになるだろう。電車も、バイクも、飛行機も。
ファミリーカーは私が買うから、彼は好きな車に乗ってほしい。子供を連れて峠を攻めに行ったっていい。そんな話をしては、頬が緩む日々。

これ以上、何を望まなくとも、私たちは幸せだ。


だけど、だけど。分かっているけど、あなたに空を飛んでほしい。

そう思ってしまう私は、お節介だろうか。

映画『トップガン マーヴェリック』のラストに、ピートがペニーを乗せて一緒に空を飛ぶシーンがある。私はそれを見て少しだけ胸が痛くなる。痛くなって、そんな自分を反省する。
きっと、彼はつらく思ってなんかいない。ただ大好きなものの愛し方が変わっただけなのだ。

アルウィンへ来てくれるたび、ジェットの音が聞こえるたびにカメラを構えて空を覗く彼を、私はいつも横で見ている。焦がれている顔。本当に好きで、絶対に捨てられないものを見るとき、人は笑わないのだと知った。

私もきっと、ゴール裏でピッチに向けて、同じ顔をしている。


今でも飛びたい?と尋ねてしまう私に、彼はいつも即答する。「飛びたいよ」と。

どんなかたちでもいい。その夢がいつか叶う日が来ればいいと、私は諦めないで待っている。この人と歩むかぎり、いつまでも。
彼よりも、私のほうがずっとずっと諦めが悪いのだ。

いつか空の中で笑うあなたの顔が見たい。

それが、一生かけて叶えたい私のささやかな夢だ。


年が明けたら、私たちは入籍する。
ウェディングフォトは、セントレアのスカイデッキで撮るつもりだ。


本物の空はまだ無理でも、近いうちにフライトシミュレーターに行こうよと約束した。
羽田にあるそこではどうやら戦闘機の操縦ができるらしい。

はじめてのクリスマスはもしかしたら、F/A-18のコックピットで過ごしているかもしれない。


[了.]



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