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復興へのOnesou1 【山雅サポ有志 能登半島ボランティアレポート】

人が人を助けるのに理由は必要ない——と、私は思っている。


2024年3月17日、能登半島で炊き出しボランティアを行ってきた。

おとずれたのは輪島市立大屋小学校と、能登七見健康福祉の郷「なごみ」。
大屋小学校は避難所として使用され、今も避難生活を送っている人々がいる。
「なごみ」は自衛隊による仮設浴場が設置され、大人から子どもまで大勢の人々が連日足を運ぶ。

2ヶ所で計500食のラーメンと、信州銘菓やフルーツジュースを振る舞った。

長野県松本市のラーメン店「麺州竹中」店主を発起人とし、現地に行ったのは9人。
数えきれない人たちから被災地への想いを受け取り、それを現場で形にしてくることができた。

麺州竹中を訪れた多くのお客様から、十分な支援金を。
様々な飲食店から、物資や道具、提供できる食品の援助を。
大勢の皆さまから、「お願いします」「行ってらっしゃい」の声を。
たくさんの大切なものをあずかり、やれることを精一杯やってきた。

私たちは人道支援のプロフェッショナルではない。
ただの松本市民であり、松本山雅FCサポーターの集まりである。

「できる人が、できることを、できる範囲で頑張る」

事前に共有したのはそんな言葉だった。


現地をおとずれて働くことばかりが「できること」ではない。

自分たちの生活を守りながら、被災地へ想いを馳せ、その想いを声に出し、あるいは形にして背中を押してくれる人たちがいるから、ボランティアは現地へ赴き、そして自分たちの家へと帰ってくることができる。


山雅サポーターをはじめとする松本市民を中心に、一人一人の思いが大きな輪となって力を貸してくれたおかげで、私たちは行くことができました。

ご協力いただいた全ての皆さまに感謝を込めて、このレポートをしたため、公開します。



タイムスケジュールと各所レポート(写真あり)


0時(17日)
松本市内集合。5人乗りのワゴン車2台に分かれ、支援物資や道具を乗せ出発。
メンバーは成人男性5人、成人女性3人、中学生男子1人。
うち、ボランティア経験者5人。

5時
輪島市役所駐車場に到着。守衛さんに挨拶を済ませ、別動隊との合流時刻まで車内で仮眠。
高速道路を降りてからは悪路が続き、ジェットコースターのように車が揺れたり跳ねたりするので眠るどころではなかった。根元から大きく傾いたまま稼働している信号機、折れ曲がった道路標識、落ちたガードレールなど、まだ修復されていない場所が多くある。

8時
火災で焼け落ちた輪島朝市と、その周辺を見に行く。
通路は瓦礫がきれいに退かされて通行できるようになっている。先月はまだ立ち入りできなかったとのこと。
近隣には赤紙が貼られている家屋、倒壊している家屋がある。電柱は傾いて電線がたわんでいる箇所や、川沿いの道路ではガードレールが崩れ落ちている箇所がある。アスファルトには各所に亀裂が入り、凹凸も目立つ。
住民の方々がちらほらと外に出てきて、家の前の掃き掃除や玄関の手入れなどをしている。「おはようございます」と挨拶を交わす。
車に戻り、炊き出し会場へ出発。


8時30分
大屋小学校到着。別隊と合流し、昇降口の外で設営開始。
炊き出し組、お菓子コーナー組、ジャンケンマンと共同のアミューズメント組(体育館)に分かれて作業に入る。
お菓子コーナーの隣ではちょんまげ隊長ツンさんの部隊がプリンパフェを準備。
飲用水も含め、水は使えないことが分かっていたため、事前打ち合わせの上で別の支援団体から提供を受ける。
簡易トイレ、トイレカーが設置されている。ともに水洗式だが断水しており、バケツで水を汲んで洗浄する方式。手洗い場も水が出ないので、アルコール消毒が置かれている。支度中から極力飲食を避けつつ、衛生管理につとめる。

水洗式だが水が使えない。白いトイレカーは愛媛県宇和島市から来ていた。


11時
炊き出し開始。避難所の内外から人がおとずれる。
風が強くてスープがなかなか温まらないことに苦心しつつ、ほとんど行列を作ることなく各コーナーへ人が分散。
お菓子コーナーでは100%リンゴジュースが大好評。八幡屋磯五郎の七味も物珍しがって使用していく人が多い。「長野から来てくれたの!」と会話に花が咲く。「今日は風が強い」「今年はまだ雪が少ない」などと教えてくださる。多くの人が段ボール箱や大きなトレーなどを持参し、家族の分も持ち帰っていく。
体育館ではジャンケンマンが的当て遊びを行い、子どもやお母さんたちが参加。制限時間内にボールを投げられるだけ投げ、倒した的の数に応じて景品がもらえるので、いい運動になる。まわりで見守っていたお年寄りも、だんだん参加してくださる。
景品には鹿児島銘菓や信州銘菓、おもちゃに加え、靴下などの防寒グッズや山雅グッズなどを用意。山雅バストミカはレアだよ、と伝えると「これにする!」と喜んで持っていく子どもたち。


13時
ラーメン約200食を提供し、撤収開始。

13時30分
完全撤収。若干の休憩を挟みつつ、次の目的地である「なごみ」へ車で移動。

15時50分
「なごみ」到着、設営開始。
こちらも水が使えないことは事前に分かっていたため、別団体からポリタンクでの提供を受ける。

一瞬の通り雨で看板が濡れてしまう。炊き出し前には止んでいた。


17時15分
炊き出し開始。
18時頃から人が増え始め、ピークタイムは30人以上の行列ができる。
小学校とは異なり、L字型にラインをとって列を形成。それぞれが各作業に集中するなか、ジャンケンマンが待機列の人たちにアミューズメントを提供してくださる。
自由トッピングコーナーと立食コーナーを提供口とは別で設置したため、食べていく人が多い。黙々と啜っては、次々に「うまかった」と言ってくださる。わざわざお礼を言いに戻って来てくれた家族もいた。

左手側に向かって列が伸びている。
写真手前からプリンパフェ、お菓子コーナー、突き当たりでラーメンを提供。


20時
ラーメン約300食を提供し、撤収開始。

20時30分
完全撤収。用具を洗う水がないので、持ち帰ってから洗うため大きなポリ袋に入れる。有形ごみは全て車に積み込んで持ち帰る。


21時
別動隊と別れ、松本へ向けて出発。ジェットコースターのような道を引き返し、休憩を挟みつつ高速道路で松本ICを目指す。


2時30分(18日)
松本市内到着、解散。


振り返り:麺州竹中店主コメント


——炊き出しを計画した経緯は?

竹中 「炊き出しに行ってもらえるか」と要望があったから、「行けます」と言った。勝手に押しかけるわけにはいかないから、必要があって呼ばれるんなら「行けます」と言っていた。

——一番の目的は?

竹中 自分にできることを「やって」と言われたから、やりに行った。

——今回行ってみての手応えなどは?

竹中 過去の炊き出し経験も踏まえて、今回はよくできたほうだと思う。可能な限りシミュレーションして準備をしていったし、想定外のことは起こらなかった。大きなミスもなく、メンバーも自分で考えて動ける人間が多かった。なにより寄付金がたくさん集まったのが本当にありがたかった。おかげで十分な準備ができた。

——今後の課題は?

竹中 もっとおいしいラーメンを作って食べさせたい。しかたのないことだが、現場では制限が多い。食中毒の危険もあるから必ず大鍋で熱を入れないといけないし、使える食材も限られていて、常温保存可能なものしか使えない。麺は提供時間を考えて細麺を選んだが、すぐ伸びてしまうので、持ち帰るのにはあまり向いていない。「本当はもっとおいしいのを食べてもらいたい」といつも思っている。

——現地で一番困ったことは?

竹中 水洗トイレが使えなかったこと。生理現象だし、食品衛生的にも苦心した。行政にがんばってもらうしかない。

——印象に残っていることは?

竹中 妻も言っていたが、現地の人が「今日、すごい豪華じゃない!?」と喜んでくれたのがうれしかった。ラーメン、お菓子、ジュースに、別隊のプリンパフェもあって、賑やかにできてよかった。

——次回への抱負は?

竹中 もうちょっとうまいラーメンを出したい。あと、手品を覚えとけばよかった!もっとエンタメ性を高めて、楽しんでもらえる工夫をしたい。

(インタビュー/薄荷)

協力店舗(順不同・敬称略)

麺州竹中(松本市中央)
君ノ珈琲(安曇野市穂高)

物資・用具等提供:
33'sCAFE(松本市中央)
御菓子処藤むら(松本市中央)
やきそば よっちゃん(松本市波田)
製材所のパン屋(松本市奈川)
おやき工房 旬菜花(塩尻市宗賀)
安曇野珈琲工房(安曇野市三郷)

このほか、数多くの皆さまのご支援、ご協力をいただきました。
心より感謝申し上げます。

皆さま本当にお疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。

写真(文章中未使用)

松本からの支援物資①
松本からの支援物資②
松本からの支援物資③
賑やかしのガンズくんたち
山雅おのくん(L)と八幡屋磯五郎山雅缶
ジャンケンマンのゲーム景品①
ジャンケンマンのゲーム景品②
ジャンケンマンのゲーム設営風景
「なごみ」設営
現地で活動中の支援団体へ義援金のお渡し①
現地で活動中の支援団体へ義援金のお渡し②


あとがき

「明日もこの風景があるか分からない」と思いながら松本市内を歩いた。


私は塩尻市片丘に生まれ育った。
「牛伏寺断層」という活断層の真上に実家が建っている。

「いつ揺れるか分からない」と言われ続けて、もう30年以上が過ぎた。

東日本大震災のとき、私は駒ヶ根市で大学生をやっていた。
数日後に松本市内が揺れ、その光景を民放で見た。りそな銀行の壁がきれいに崩れ落ちた映像は、今も目に焼き付いている。

いま、この街に暮らしていけるのは当たり前のことではない。

いつか、もしかしたらほんの数秒後には、私たちが助けられる側になるのかもしれない。

今回、私たちは無事に日常へと帰ってきて、今週も松本山雅FCの試合がある。
そのありがたみと、目の前にある幸せを噛み締めて、今日を大切に生きて行こうと思う。


人を助けるのに理由はいらない。
同じように、助けてもらうのにも理由はいらない。最近はそんなふうに思い始めた。

「助けてもらった」、そのことを大切に胸にしまうなら、それは次の誰かを助けることで繋がっていけばいい。

そんな想いを次の誰かに託しつつ、今回は筆を置く。

[了.]

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