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AIは人から創造という行為を奪うのか?それとも助けるのか?

2024年84日目。
自分が目指す方向よりも、人に言われた方向に進んだ方が、結果的に面白かったり上手くいくことが多かった人生を歩んできたので、誘われたらできるだけお受けさせていただく姿勢で人生に臨んでおります。ということで、今日はお誘いを受けてのインプット活動です。
図らずも、AIに関する話を聞くのは今週3回目。今回はAIの時代の創造性についてのお話「創生と共生」をデジタルハリウッド大学大学院にて。

ChatGPTについては、昨年春の日経サイエンスの特集で、「次にくる文章を予測して返している、ということをしているのがChatGPT」「本質は高性能なパターン認識」「参照データがない場合はデータを混ぜるのでウソをついているように見える」ということを読み、なんとなくわかった気になっていました。

あるいは、その活用、特にビジネスの領域では、ChatGPTはあくまでツールであり、万能だとは思わないことが必要だなと感じていました。例えば、プレスリリースの作成において、形式に沿って整ったものは出力できるけど、記者の興味関心を惹く内容は自分で考えなければなりません。また、知識を問うものについては、(以前から指摘があるように)ChatGPT4.0であってもまだまだ危うさがあります。

このような目線で見たとき、クリエイティビティの領域でも状況は同じではないか?どう議論していくのか?と思っていたのですが…
後半冒頭、橋本大也先生より、「スケールさせたらとんでもないことに!」というスライド(前半で栗原聡先生が講義で使用したもの)から即興でChatGPTで制作した同名の曲+アニメーションのデモが示され…雄弁に語るよりまず見ろ!と言わんばかりの衝撃が頭の中を走りました。何を言っているのかがよくわからないと思いますが、”ChatGPT 作曲”あたりで検索すると、近い手順で作られたと思われるものがいろいろ出てくるので、そちらで想像していただければ。例えば↓)おそろしく簡易で、しかも(創作そのものは)無料!

ChatGPT×Pythonは「手順に関する知識」と「その実行」の合体。これによって、想像する以上にいろいろなことができるようになっている。

(もちろん、プロンプトによる。ただ、ひとつひとつのプロンプトに注意するというよりも、完成形から逆算してChaGPTが動きやすい順番でプロンプトを出していくことがポイントかもしれない。)

今はまだ(特にイラストでは)「無気味の谷」を越えてないところもありますが、近い将来、取り込まれるデータの量が何かの閾値を超えたとき(=スケールするとき)、今の我々が想像する「創造」は軽く超えていってしまうことが起きる…というか、一部はもう超え始めているし、あるいは、我々の側が変化することで、無気味の谷を受け入れてしまうのかもしれない。

…あのデモンストレーションを見せつけられ、そのような主張に肯首せざるをえませんでした。

ちょうど今回の講師のひとりである橋本大也さんの本が出るとのこと。月曜日の柳瀬博一さんの話でも「手を動かす側にいた方がここから先は絶対に面白い」という指摘もあったので、読みながら手を動かしてみようと思います。

さて、余談のコーナーは、あまり余談になっていない本編と関連する話。
この同日、EUがAIを規制する方向で動き出したニュースが流れていました。

今回の議論の最後でこのニュースへの言及もありました。
クリエイティブ側に軸足を置く人たちが多いであろう会場では、このEUの動きに対して当然ながら批判的なトーンで語られていました。視点は2つあって、ひとつは、当然ながら、人間の創造性に枷をはめてしまうのではないかという危惧、そしてもうひとつは、例えばIllustratorには既にAIが組み込まれているなど、「創造」という行為上での人とAIの境界も既にあやふやになっている中で、そもそも人とAIの線引きができるのか?(どのように規制が運用されるのか?)
人類の倫理や生存に関わる問題と世界経済での主導権とを絡めようとするEUのいつものやり方、という見方もできるのかもしれませんが、ひょっとすると、知能が自己を発達させるのに乗っていた「人間」という乗り物の役割は今まさに終わりを告げ、知能はこれからAIに乗り換えていく…そのことに対する直感的な恐怖感が、(「近代人」を定義づけてきた)彼らをしてそうさせているのかもしれないですね。

本来の余談用に準備していた神保町・共栄堂のスマトラカレー(ビーフ)
30年ぶりぐらいに食べましたが、印象は変わらず
これはカレーではなくスマトラカレーというジャンル

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