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ふつうに憧れていたころ

小さいころ、からだがあまり強くなくて、よく病院に通ったり入院したりしてました。お薬を飲むのも、お医者さんと話すのも、病院のベッドも、注射も点滴も、嫌だった記憶がないので多分すごく平気でした。

独特の匂いのする病室、そんなに悪くない薄味のごはん、歩くと隣についてくる点滴のコロコロ、好きなキャラクターの枕カバー、いつも側にいてくれるぬいぐるみ、お見舞いでもらうフルーツ。ぼんやりとしか覚えてないくらいなので、それなりに楽しく平穏な日々を過ごしてたんだと思います。しんどいときはナースコールを頼ればいいんだって思えるし、周りには同じように入院してる人たちがいるから、そんなに不安も孤独感もなくて。本よんだり、アニメみたり、ピアノもあったかも。入院は1年に1回、秋と冬の変わり目、私はその程度だったけど、きっと同じ場所にはもっとずっと大変な思いをしてる人たちがいたんだろうなと今は思います。

大人になって、昔よりも全然元気で、自由で、できることがたくさん増えて。だけどたまにやっぱりしんどくて、それはからだのときもあれば心のときもあるんだけど。

子どものころ、ずっと、ふつうに憧れてました。欲を言えば「ふつうよりちょっといい」中の上みたいなポジション。でも、ふつうってなんだろうね。
声も容姿も、身分も経歴も、家族も友人も恋人も、こうあるべきみたいな理想があった時代とはきっと違うから、ふつうなんてどこを探しても永遠に見つからないような気がします。

ふつうに憧れる私だったら、こういう話は誰にもしないし、なんなら無意識に隠しちゃうし、文字にして発信するなんて思いつきもしないんだけど、聞いてほしくなっちゃったので書き残しておきます。ふつうじゃなくていいんだなって思えるようになったのかもしれないです、ようやく。

それはきっと大人になったからなのかもしれないけど、もし前の自分みたいな、なんかもやもやしたり嫌だな疲れたなって思うことがあっても蓋をして毎日がんばりすぎちゃってる人がいたら、寄り添える存在でいたいし、楽しいことを一緒に楽しいねって言い合えたら幸せだなって思います。
私にできることを少しずつ少しずつ、積み重ねていって、理想がいつか形になったら嬉しいし、その道中にたくさんの思い出ができていったら素敵だなって思います。そばで見守っててね。


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