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通りすがりの「せっかくだから。」

岡山公演でのこと。本番時間が近づいて、楽屋からステージに行く道中、
物販をしてくれているスタッフと立ち話をしている男性と鉢合わせた。男性は、自分の親と近いか少し上くらいの年齢で、物販を眺めながら、自分がよく聴いている音楽の話をスタッフにしているようだった。

時間が少し押していたので、お客さんだったらそろそろ中に入ってもらいたいなあと「こんばんは」と声をかけると「通りすがっただけなんだ」と言う。私は待たせているお客さんに心が引っ張られて「そうなんですね」と、そっけない返事をしたと思う。

「せっかくだから聴いていくよ」となんとその場で当日券を購入してくれた。何が決め手になったのかわからなかったけれど、その方の懐の深さと、会場の城下公会堂の日頃の努力の賜物なのだと、あとで気づいた。

自分の中には「ワンマン」という形でしか実現できない表現があって、どうしても少しチケットの値段が上がってしまう。いつもながら葛藤して設定したチケットの4500円という値段は、未知の世界に飛び込むには、とてもハードルの高い値段だと思っている。通りすがりで「せっかくだから」なんていってくださる気軽さにとても驚いた。

それから、ライブが終わり、物販脇で帰る方の見送りをしていると、先ほどの男性がCDを購入してくださり、声をかけてくれた。

「ぼくの友達のお医者さんの奥さんが、癌で亡くなられたんだ。僕の友達が僕に言ったことは、人生になんの意義もなくなってしまった、という一言で、彼は診療の合間、30分ごとに涙を流してる。この歌を彼にプレゼントしてみるよ。いい時間だった、ありがとう。」そう話すと、数枚のCDを手に駅の方へ帰って行った。

うん、うん、と頷きながら私はきっとうまく言葉にはできなかったと思う。

誰かの悲しみをそばで見守る人にもまた抱えている様々な想いがある。そんな想いの渦中で、私の歌に出会ってくれたことを本当に有り難く思った。私も、その方の心にどうか少しでも光がさすようにと願い、これからもできるだけ長く歌って行こうと思った。

喜びとも、幸せとも違う、励みともはっきりと言い切れない、このなんとも沁みいるような湧いてくるようなこの感覚を、気持ちをなんと呼ぶのか、私はまだ知らない。

誰かの想いに報いるためにできることが、誰かの心に寄り添うためにできることが、まだまだほんとうにたくさんあるんだということを確認した、夜の記録。


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