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【文学/アート】現実との境目がぐちゃぐちゃになる作品が好きだという話

好きです。
半分日記のような記事です。

■アムネジアの感想

先日、稲生平太郎の「アムネジア」を読みました。

思い出すんだ。失くしてしまった、「本当の物語」を。
消された名前、チョコレート・ケーキ、闇金融、かみのけ座、殺人、奇妙な機械……優しく残酷に侵食されてゆく現実の果てに、僕は何を見る? 『アクアリウムの夜』の鬼才が15年ぶりに放つ、究極の幻想ミステリ!

紹介にあるように、まさに奇作「アクアリウムの夜」の作者の作品です。アクアリウムの夜自体もめちゃくちゃヤバい話だったわけですが、そちらの感想は過去に記事にしているので、こちらで。

アムネジアは、冒頭はまさに金融サスペンス?金融ミステリ?といった雰囲気のワードをプンプンばらまきながら進んでいきます。某社の社史を編集している主人公が、その中に登場する人名と同じ人名を新聞で見かけ、その人物に戸籍上は死んだことになっていることに引っかかりを覚え、彼についての調査を始めます。そこから物語は関西の裏金融、そして裏金融の要になっていそうな謎の機械へ進み、そしてかみのけ座へ向かう――(???)。

気がつけば読者である私達は、冒頭の金融ミステリからわけのわからない幻想?幻覚?妄想?それとも謎の物語?の中へと連れて行かれます。

この読書体験は、アクアリウムの夜もまさに似た感覚を味わえる名作なので、ぜひ合わせてご体験いただきたいものです。

■現実との境目が不安定になるアート

2018年にTwitterでバズをとばした「くりかえしみるゆめ」という資生堂ギャラリーで行われたインタラクティブアートの展示をご存知でしょうか?

私は、この展示をバズル前に見に行くべきだった!と今でも悔やみ続けています(どうでもいい)。
作者の冨安由真さんは、本年KAATで「漂泊する幻影」という展示も行っています。

もう展示が終了してしまっているので、ネタバレというかどんな展示だったかを記載してもいいと思うので書きますが、どちらも所謂ウォークスルー型というか、扉を開けて部屋の中に進んでいき、その部屋の中にある様々な作品というか、ものを見ていく形式の展示です。

静かで、暗い空間の中、誰かがいた部屋に、誰かの部屋であった幻影に、どういうわけだか私は観察者として紛れ込んでしまっている。

身も蓋もない言い方をすれば、ストーリーが起きないホラーゲームのとある館の中に突然放り込まれた、そんな感覚が近いのかもしれません。

部屋全体、建物の1フロアを使って行われるこうした展示は、まさに私達の現実という地面の確かさを、あっというまにぐんにゃりとずぶずぶと変形させてくれます。

■現実と妄想が混在する話

話は変わるかもしれませんが、わたしは「だからドロシー帰っておいで」という作品が大好きです。

タイトルのドロシーでお察しの通り、オズの魔法使いをモチーフにした作品です。表紙にもなっているオバサン(という言い方を敢えてする)が主人公です。彼女がドロシーよろしく異世界に飛ばされ、そこで大冒険をする――するのですが、彼女の肉体は現実世界にも残っていて、現実世界の体は体で角川ホラー文庫らしい冒険を行っています。

妄想世界(精神世界?異世界?)の冒険と現実世界の冒険が密接に関わりながら、リンクしながら進んでいく、個人的には牧野修作品のなかでもかなり好きな作品です。

■今見ている世界の信用度

私は今の所、自分は現実世界に生きていると思っています。残念なことに。
この信用度のバランスを崩すような読書体験が、物語体験が、というかなんでも体験全般を求めています。

「物語体験」と一言にいったとき、きっと世の中の多くお人はフラッシュモブのような、突然なにかのドラマに巻き込まれるような、そんな体験を想像するでしょう。

でも実際に求められているものは、そんな派手な体験ではなくて、

例えば見覚えのある道が、いつも通いなれているはずの道が突然なくなっているような、いつも行くはずのバーにどういうわけかたどり着けなくなっているような、何故か街が少しだけ違って見えるような……

って、これ「酔歩する男」の冒頭部分やんけ!!!

やる夫にもなっているので、簡易的に雰囲気を知りたい方はこちらもおすすめ。

おわり

面白い本の購入費用になります。