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【読書記録】人形(ギニョル) 佐藤ラギ

佐藤ラギの人形(ギニョル)を読みました。

謎の男娼、その名は「ギニョル」。純白の肌に口を開けた真紅の傷跡が、平凡な中年男だったはずの「私」の中の何かを壊した。甘美な嗜虐と官能の日々。しかし、「邪悪ナル世界」に本当に監禁されたのは、実は私だった…。第3回ホラーサスペンス大賞

語り部であるサディスト、主役であるマゾヒスト

主人公である「私」が、まるで人形のように美しい少年「ギニョル」に出会い、自らの内に秘めた嗜虐性に目覚めていくという物語。

ギニョルは、(元々は)とても美しい少年で、おそらくロシアの血が入っているであろう透き通るような色の白さと儚さ溢れる姿をしている(が、ありとあらゆる加虐を受けたせいでボッコボコ)。その可憐な四肢、表情を見ていると、男たちは自身の中にあるサディスティックな欲望がむくむくと溢れ堪えられなくなってしまう。
主人公自身も、変態SM作家を生業としながらも、自身はてんでインポテンツ気味であったにも関わらず、ギニョルと初めて会ったときには堪らずベルトで存分にギニョルを打ち据えている(性交的なことは、最初の時もこれからもなかったようだが)。
ギニョルはありとあらゆる加虐をその肉体に受け、その体は痣と傷の総合デパートのような有様だった。その上、尻には刺青が彫られている。邪悪ナル世界の住民たるギニョルと、その世界に深入りするべきでは無いというような文言が彼の尻には刻まれている。

なんやかんやあって、主人公とその友人のエロカメラマン(バンちゃん)はギニョルを「私」の家に監禁し、そこで彼を飼い始める。様々な嗜好の責め苦を与えながら、2人はその様子を写真におさめる。
やがて、アングラ界隈で有名な人形作家も仲間に引き入れ、どこまでが人形でどこからか生身のギニョルが責められているかわからない、蠱惑的な写真や映像コンテンツとしてインターネットでグランギニョルを展開していく……。

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ざっとあらすじでこんな話です。
どうしてこの本を新潮社からホラーで出したんだろう?と首を傾げてしまう話ですが、邪悪ナル世界に魅入られてしまい、自己の中にある嗜虐性に否応なしに向き合わされてしまうギニョルとの出会いは、それは怖いものでしょう。

作品の面白さとしては、まずは「ギニョル」のキャラクターの魅力がやっぱり最高です。
美しい容貌と、物語が進むにつれわかってくる奔放というか「ふつうの男の子」みを感じる言動。いわゆる「ちゃんとした躾」を受けてこなかったのだろうなと言う振る舞い。好きな食べ物がフライドポテトや、そしてホットケーキという見た目や受けてきた行為とのギャップ。

ふつうの男の子なんだな、と見せかけてくるのに、突然落としてくるのが本当に恐ろしいんです。

主人公とバンちゃんに監禁され、責め苦を受け続ける彼は、不意に誰にも聞かれないように「生ぬるいんだよな……」というようなことを言います。
それまでも繰り返しギニョルは「あんたたちは普通の人」「本物の変態ではない」と主人公とバンちゃんに向かって言い放っています。
打ち据え、焼き、水で責め、まだまだ”足りない”と。

サドマゾヒズムにおいて、いつでも主人公であるのはマゾヒストです。マゾヒストが望んでいたのであれ、望んでいないのであれ、責め苦を受け、声を上げ、泣き苦しむ姿がプレイの――物語の中心であり、サディストはその主人公の姿を引き出すための言ってしまえば道具でしかありません。

「人形」においては、主人公の「私」はそのサディストにもなりきっておらずに、「語り部」という立場にいます。

ラストで、消えてしまったギニョルの元には、カメラマンとしてバンちゃんが近くにいることが匂わされて終わります。いっぽう「私」は、昔自分たちが作った写真集のROMを手に入れ、それを見てただぼんやりと過ごします。バンちゃんは再びサドマゾヒズムの当事者に戻り、主人公は語り部の立場に甘んじた、と見ることが出来るでしょう。

サドマゾヒズムと主人公体験

SMのプレイは、よく「SとMの関係性が作り上げる物語である」と言われます。まったくもってその通りで、どんなプレイもそこに至るまでの過程と、(たとえプレイ自体がソフトであっても)当人たちにとっては劇的なプレイが存在します。

そのときに、やっぱり主役はMではないでしょうか。

一昔前に流行った「MはまんぞくのM」なんてことを言うわけではなく、サドマゾヒズムの物語の中心はあくまでもマゾヒストの肉体あるいは精神の被虐の果てにあるのだと思うのです。

痣と傷の総合デパート――白い肌に青い痣に火傷痕に切り傷でいっぱい――のギニョルの肌を想像します。なんて美しいんでしょうか。そんな傷だらけ、痣だらけの彼が、ふつうにホットケーキを食べている姿を想像するとため息が出ます。

写真の被写体になりたい願望はこれまでなかったんですが、そういう「被虐の果ての姿」で「ふつうの生活」を送る姿を素敵だなあ、そんな風になりたいなあ、としみじみ感じました。

最後に

はたして、ギニョル本人は被虐趣味があったのでしょうか。
痛みを快感に変えることが出来るからマゾは強い、なんて言われますが、いやいや痛いもんは痛いです。痛いものは痛いけれど、痛い事実に興奮するというか。
ギニョルにおいては、痛みで興奮はしていないような気がします。

マゾヒストには二つあって「被虐で興奮するタイプのマゾ」と「被虐されないと生きていけないマゾ」がいて、二つは近いけれど結構遠いものです。
ギニョルは後者の「被虐されないと生きていけない生き物(マゾかどうかはわからない)」だったように感じます。


ダラダラとこんなことを考えるくらいには面白い小説でした。
現在はあまり手に入りづらい作品ではありますが、変態文学好きな方には面白い作品だと思いますので、ぜひ機会があれば手に取っていただきたい作品でした。

大変オススメ。


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