デイジーと、よく晴れた空。

デイジーと、よく晴れた空。

「キース」
「ん、」
「誰と話してたの?」
 俺が助手席に乗り込んで音高くドアを閉めた瞬間、ネディは車をふかしながらそんな言葉を口にして、諸々の雑音に遮られたその問いかけの意味を把握するのにやや手間取った。エンジンや雨や衣擦れのノイズなんかの中からやっとネディの声を取り出すと、今度は、どう答えたらいいか、分からなくなって沈黙する。結局俺が口を開いたのは車が走り出してのち数秒のことだった。
「誰でもいいだろ。なんで聞く?」
「や、随分と熱心に聞き入っていたものだから。よほど大事な用なのかとね、捜査に纏わることならば僕も知っといたほうが無難だろ?」
 危険な運転スタイルで悪名高いこの男も、さすがに雨の日は多少なりとも慎重になるらしかった。法定速度を遵守した至極安全な車の中で、そういえばこいつの隣にも慣れちまったな、とふと思う。右ポケットにしまった携帯を利き手でなんとなくもてあそび、ガラス越しに往来を見やる。道ゆく人々はこの程度では傘を差さない。 イギリス流、だ。
「事件とは関係ねーよ。プライベートだプライベート」
「なにソレ。まるで僕との仲が仕事オンリーみたいじゃないか」
「実際仕事オンリーだろうが」
「またまたぁ、照れ屋なんだから。僕ら立派に親友でしょう?」
 車が左折して、会話が途切れる。お互いにきっと気づいてる。俺たちの会話には、やっぱり“声”が欠けている、――本来は俺が今いるこの助手席で頬杖をついて、ドアに大きく身を凭れながら澄んで落ち着いた柔らかな声で俺たちの隙間を埋めていた、――“彼”の声の不在に、一年経ってもまだ、慣れない。
「月命日だからさぁ、」
 さっきまでと変わらぬトーンを注意深く維持するような、どこか強張りを感じる口調でネディは言った。
「今の事件カタがついたら、一緒にちょっと顔見せに行こっか」
 ああ、と一言、簡潔に返す。何気無く確かめてみたネディの端整な横顔は、内心を覆い隠した薄笑いに閉ざされていて、俺がこいつを理解するまでにあとどのくらいかかるだろう、そのうち何か見出せる日が、来るんだろうか。毎日少しずつ背が伸びて、知らぬ間に目に入る世界が広がっていたあの頃のように。
 掌にのせた携帯を、深く握った。車が市街地を抜ける。

 カーティス・シザーフィールドの一周忌から二ヶ月経った。本当は顔を出したかったが俺もネディも命日に仕事を抜けることはできなかった、犯人確保までいよいよ大詰めという頃合いでとてもじゃないが出向く余裕がなかったんだ。アーネストくんも俺たちの職の業の深さはよく承知していて、兄も気にしてないだろうから、と留守電に残してくれていた。詫びの電話を入れたとき、彼のほうも同じく仕事中で、あとで折り返してくれたのを今度は俺が取り損ねたわけだ。帰宅後に携帯を開くと知らせがきていて、指定の番号を鳴らし伝言を聞いた。
 すると、二件入っていたのだ。片方は三年ほど前に残されていたメッセージで、俺が気づかず聞き逃していたものであることが後になって分かった。声が流れ出した途端に、俺の思考はピタリと止まった。ほんの数秒のメッセージだった、なんの不思議もない出来事なのに、なぜだか信じられない心地で何度も何度も再生を選んだ。流れてくるセリフは変わらない。俺が聞き紛うはずもない。
『よぉ相棒、今なにしてる? なんで電話に出やがらねえんだ、これ聞いたらすぐかけてこいよ』
 以来、ずっと、暇を作っては、留守番電話サービスのダイヤルを回し“声”を聞いている。俺の相棒の、想い人の、もはや世界の何処にもいないただ一人の“彼”の声音を。

「春ってやつはなんでこう、急ぎ足で去ってゆくのかな」
 ようやく候補を一人に絞り、さあ連行だという段になって訪れた被疑者のアパートの前で、ネディは暢気に空を見上げた。太陽は夏を思わせる苛烈さを纏い始めていて、スーツの下がじっとりと汗ばむ。ネクタイの息苦しさが意識される気候になってきた。つられて見れば街路樹も茂り、青々と夏の身支度をしている。
「知らねえよ。地球にでも聞いとけ」
「君って人は情緒ってものをちっとも解せないんだから、少しは会話を楽しんだらどう? いやしかし春ってさ、いつ始まっていつ終わるんだか判然としないじゃないか。桜かなんか咲いたりするとああ春かなって思うけれども、ちょっとぼんやりしてる間にこんな暑さに様変わりしちゃうし。そんで次は梅雨でしょ? やんなっちゃうよね」
 無駄口を叩くなよ、と言いつつ、言葉を受けて考えてしまう。言われてみりゃ確かに春ってのはあいまいな季節だ、始まったかと思いきや次の日には肌寒くなったり、そうこうしてる間に桜が咲いて、去年より早いんじゃねえかなんつってたらもう夏の匂いがする。「今が春だ」と実感する余裕もなく足早に、花は散り時は過ぎていく。そういえば春ってもんを心ゆくまで堪能できた試しなんてないかもしれない、自分の稼業の忙しなさのせいも大いにありそうだが、……気づけば消えていて、手元にない。
「ところでさ、」
「んあ?」
「アイツ。返事したくせに遅くない?」
 促され時計を確かめる。俺らがさっきノックして、今行きますとヤツは応えて、……何十秒だ?
「こりゃ逃げてるね。僕は裏!」
 ネディが建物を回って駆け出す。俺は慌てて拳銃を握り、安っぽいドアを蹴り破った。

「ねえカート、」
「んだよ」
「好きだ、」
「知ってる」
「そういうことじゃなくてさ、」
「何十回もしつけえぞてめー」
「だってカートが一度も真面目に取り合ってくれないから」
「俺も好き」
「それで、え?」
「好き。お前も、エディのことも、アーニーのことも。大好きだよ」
「……」
「お前が俺に言ってんのと、同じくらいに、好きだよ」
「……うん」
「――《同じように》じゃ、ねえだろうけどさ」

 事件解決の祝いは決まって、署から歩いて数分の小さなバーで行われる。捜査に携わったメンバー全員が一堂に介し、大抵は上司数人の奢りで飲む。結局昼間に逃げ出した男が今回のホシで合ってたわけだ、その場で逮捕し署へ連行、証拠を突きつけ尋問すればあっさりと吐いた。俺とネディは今回の件で『お手柄』をあげた二人なもんで、夜が明けるまで帰れないだろう、ワクのネディはともかくとして俺は底なしに酒が飲めるタイプの肝臓は持ってない。そりゃ弱かねえけどさ、……正直気が重いが、これも一つの儀式みたいなもんで。
「よおキース、飲めよ」
「俺ばっか構うなネディに飲ませろ」
「あいついくら飲ませても効かねえからつまんねーんだよ」
「おう、弱音か? 今日こそ潰してやれ」
 同僚の腕を振りほどき、バーの小綺麗な店員なぞを口説き落としてるネディを指して、喧騒の波間に身を隠す。比較的人の少ないスペースへ潜り込み柱に背を預ける。見渡せば、どいつもこいつも下品なジョークを飛ばし大口で笑い、飲みこぼしたビールでシャツを濡らして悪ノリに興じあっている。典型的な酔っ払いの醜態なのだがこの騒がしさを俺はなかなか嫌いになれない、無論こんな気分良く祝える事件ばかりじゃあないが、……手にしたジョッキを煽って空にし近くのテーブルへ置いてから、ポケットの内側を探る。考えるまでもなく指は留守電の番号を打って、俺はスピーカーを耳に当てる。
 聞こえてくる、彼の声。おおよそ二年前ならばここにいてもおかしくなかったはずの、ここにもきっとあったはずの、――思いつきで瞼を閉じる。まるで、彼が、仲間たちの陰から、間を縫って顔を出し、俺の、目の前に、ここに、――いるように、
「ちょっとぉ」
 突如、幻想が終わる。バーの喧騒が、一息にクリアになって開いた視界に現れたのはネディだった。彼は俺の携帯を取り上げそのまま耳を寄せる。二回目の再生を、選択してしまってた。
「あ、待て返せ、」
「まったく、愛しの彼氏かい? 捜査中も夢中になっちゃって、バディの僕に挨拶くらい、――」
 ネディの笑みが固まった。彼の耳にも明らかだったろう、俺たちがずっと、探してる声。
 彼の右手が次第、次第に、彼の耳から離れるに従い、彼の顔から笑みが、薄れ、剥がれ、みるみる消失し、後に残ったのはどの道を選べばいいかもわからなくなって、途方にくれる子供のような表情だった。見たこともない、
「……ネディ?」
 呼吸の震えとともに、唇はわななき、何か溢れ出しそうなものを必死に閉じ込めようとするみたく、緑の強い碧眼が揺れて、けれどもそれは叶わなかった。一粒、涙が目の端ににじむと、そしたらもう、止め処もなく、湧き上がるままに零れていく、歯を食いしばり彼は俯く。透明な滴が宙に落ちた。
 ああ君は、こんな顔して泣くのか。
「なあ、……ネディ」
 だらりと腕が垂れ下がる。噛み締められた歯の隙間から、畜生、畜生と、小さな叫びが漏れた。
「……エドワード」
 抱き寄せる。彼は逆らわなかった。頭に手をやり、埋めさせる。いつかと似た光景だと感じた、俺は何年も“こいつら”の親友でいながら泣き顔の一つも知らずに生きてきた。俺は何遍も泣き顔を彼らの前に晒していたのに、“こいつら”は俺と違って嘘をつくのが上手で、けど今、やっと。知ったよ、少しだけ。君のこと、……“彼”が大切に、思っていた幼馴染のこと。
 俺たちの周りに押し寄せていた宴会のさざ波が、弱まり、静まる。俺は目配せをして、それから軽く首をかしげる。納得した風に彼らは再び祝杯をあげ騒ぎ立てる。ネディが普段のおどけたツラを取り戻すにはまだかかりそうだ。数分もしたら彼は顔を上げ、誤魔化しの文句を並べるだろう、あは、僕としたことが、飲みすぎちゃったよ、なんて言って。
 だがそれまでは、まだ迷子に過ぎない。

 花を選んだのはネディだった。曰く俺には美的感覚がなく、俺の選んだ花で飾られちゃカートもむくれるに違いないそうだ。白とブルーでまとめられたその品の良い花束に使われているうちのたった一品種さえ俺は名前を言えなかったし、ネディの持論の大筋を認めざるをえない気もする。墓へ向かう道中ネディはアクセルを踏み込んで、あくまで前を見据えたまま昨夜のことを口にした。
「お察しの通りこの僕は弱みを見せるのがひどく嫌いでね、」
 いい天気だ。道路の両脇に規則正しく植えられた見事な広葉樹の葉叢が光と影でレースを編んで、地に木漏れ日を散らしている。これは桜の木じゃなかったか? さほどこの道を通らないから断じることはできないが。
「できれば昨日のことなんて綺麗さっぱり忘れてほしいよ。僕は人が泣いているのをからかうのは大好きなんだけど僕が泣くのは嫌いなんだ」
「お前よくもまあ恥ずかしげもなくそんなセリフが吐けるよな。ま、俺にくらいたまにゃ弱みも見せたらどうだ」
「は? なんで君に」
「なんでって。俺らは仲間(チーム)だろ」
「……一理あるね」
 ネディの今日のドライビングは雨の先日に比べると法定速度も破り気味だが、こいつにしちゃ大人しいほうだ、どうやら後部座席の花に気を遣っているつもりと見える。車を転がす彼の肌にも同様に木漏れ日が落ちる。
「カートのこと、さ、」ネディのつぶやきは、半ば独り言じみていた。
「――うん?」
「僕らは彼を“空席”として、覚えておけばいいんじゃないかって、思うんだよ」
「空席?」
「そ。つまりね、僕と君と彼とは一つのテーブルを囲んでたじゃない、」
「おいハンドルから手を離すんじゃねえ」
「三つの椅子を並べてさ。ここが君の席、僕の席、って、」
「言葉だけで分かるハンドルを握れ」
「僕らはね。カートが今もいるみたいに振る舞うべきじゃない」
 閉口する。彼の手も、自然とハンドルへ伸びていく。
「でもその席を、外すのは嫌だよ。誰も座ってない席としてその場所は残しておきたいじゃない。最初からいなかったみたいに忘れるなんてできやしない、欠けてしまったことは確かだから、彼の席として、僕らの関係の中に、――そういうことなんじゃないかって、思うんだよね。僕らが、彼を見送るっていうのはさ」
 なぜこいつはこう、俺の考えていることを逐一見抜いてくるんだか。ネディが言ったことは俺がここ数日ああでもなこうでもないと悩み続けていたことの、答えのようなものだった。俺がカートの留守電を、見つけた日から考えていたこと。
 なくしたものとどう向き合えばいいのかなんてのはわからない。忘れたくないし、慣れたくもない。けれども痛みが鮮明なままで生きていくのは難しい。代替を探すのは、失礼だしまず見つかりっこない。傷を舐め合うのも違うだろう。彼の面影を追い求めることも。何かせずにはいられないのに何をしたらいいかわからない。ただ一つ、言えるのは、君にこれ以上俺たちを背負わせるのはやめにしたいってこと。死んでなお俺たちのお守りをさせるわけにもいかねえだろう、散々、世話になったんだから。
「そら、ついたよ。さっさと降りて」
 きっとあのメッセージを、俺は消せない。耳を傾けることも、しばらくはやめられそうにない。でも、
「うっせえな、ちゃんと停めてから言えよ」
 シートベルトを外しつつ、後部座席を覗いてみる。そこにはかつて俺がいた。君の目に俺はどんな具合に映ってたのか想像してみる、君のことだけを見つめてた俺が、君の青い目に、どう見えていたか。

 そこには今、花束が一つ。掴み取って、俺はドアを開いた。

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2016/05/18:自サイトにて発表。
キースのSSを、ということで依頼頂いて執筆しました。掲載許可頂き済み。
カートの死後設定、本編に限りなく近いパラレル。

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ソヨゴ

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