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はつこい

 今日は卒業式。
 自由な校風で生徒会に自治が委ねられているこの高校では何代か前の生徒会が卒業式の日を毎年三月十四日にすると決めた。そんな高校故、制服も廃止されてひさしい。いわゆる卒業式の日に第二ボタンとセーラーのスカーフの交換といったものはなく、想いが通じ合ったものどうしは校章を交換していた。もろもろに配慮したと思われるこの校則は、気が利いていると概ね好評だったが、そういった行事に無縁のわたしはまったく関心がなかった。

 しかし親友は朝から大騒ぎだった。バレンタインデーに、返事は受験も終えたあとの卒業式の日に、とチョコレートを渡して告白した相手とひと月振りに会うのだから。
 わたしとの毎朝の待ち合わせも今日が最後だというのに、髪型や服装を気にして落ち着かない。彼女が今日のために選んだのは淡い紫色のワンピース。色白の彼女の肌にとても似合っている。長く伸ばした髪の毛はきれいに纏められており、朝日に頸の後毛が光っていた。
「ねえ、変じゃないかな」
 緊張に頬を染め、何度も聞いてくる彼女は今日はひときわきれいだった。
「ん。変じゃない。きっと大丈夫だよ」
 大丈夫。もう何回言っただろう。うん、大丈夫。きっとうまくいく。

 式典は滞りなく進み、最後のホームルームを終えると、卒業生はみな中庭に集められた。アルバムに載せる最後の一枚を撮影するためだ。カメラマンが屋上から中庭に向かってカメラを構えている。
 彼女は意中の彼を見つけると、なるべく近くで写りたいと、わたしのジャケットの裾を引っ張った。撮影のタイミングが迫るなか、その彼の斜め後ろにたどり着くことができた。彼女は満足そうな笑みを浮かべている。
 何枚かシャッターを切って撮影が終わると、彼はこちらを振り返った。彼女に気づくと照れくさそうに耳の後ろを触りながら近づいてくる。
 途端にわたしの隣の彼女に緊張が走る。彼がなにか言おうとするのを遮って早口になって言った。
「ごめんなさい。わたし忘れもの取ってくる。待っててもらってもいいかな」
 彼のジャンパーに校章が付いているのが見えたからだろう。そんなのあとでもいいだろうに、と思いつつ、駆けていく彼女の後ろ姿を彼女の意中の彼と眺めていた。

「なあ、あんたもあいつのことすきなんだろ。おれがあいつと付き合ってもいいの」
 思いがけないことを言われ絶句してしまう。そんなわたしを見て、彼は少し得意そうに口角を上げた。
「おれとおんなじようにあいつを見つめてるやつがいるなあ、て思ってたよ。しかもおれよりずっと近くで。すごくうらやましかった」
「な、なに言ってんの。うらやましいなんて、ばかじゃない。それはわたしの、台詞だ、よ……」
 最後のほうは涙でもう声にならない。卒業式でも泣かなかったのに。しかも、これまでずっと隠し続けてきたのに、これからもずっと隠し通すつもりだったのに、よりによってこの彼にばれるなんて、やっぱり神様なんていないんだな、と思った。

「大事にしてよね。泣かしたら、許さない」
「ああ、まかしとけ」
「あの子には先に帰ったって伝えて」
「わかった………なあ、悪かったな」
「ううん、あんたは悪くない……」
 県外の大学に進学するわたしは、おそらくもうこのふたりには会わないだろう。

 初恋は実らない——。

 今日は卒業式。
 わたしはだれかが言った迷信のような台詞を噛みしめつつ、彼女との思い出がたくさん詰まった高校をあとにした。


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