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すごく大事だけど、今はむり

私のここ3年くらいに出来た友人は、フォロワーだけど、けど、友人って言ってもいいと思う。
何度も会っているし、旅行も行っているし、一緒にゲームもして、悲しかったことの話もしたし、嬉しかったことの話もした。馬鹿だなーって言ったり、それはやめなよって言われたり、やったな!って分かちあったり。それはとても楽しいことで、そして、とても日々の支えだった。

それを、なんだか蔑ろにするようなことを、長い付き合いの友人に言われて、私は、反射的に怒れなかったことを、すごく悔しく思っている。

遊ぼうよ!って私は声をかけて、一緒に街に出よう、そう誘った。あそこに旅に出よう!一緒に行きたいんだって、計画したりした。

少しおかしい、くるった私でも、それでも上手く付き合ってくれた。長い夜にお喋りして、お互いにうちあけたことを、ずっと大事に抱えている。

ほんとうに世界が終わったと思った日に、家に来い、温かいものを食わせてやる、そう言って家に迎えて、抱きしめて、魚の入った味噌汁を食べさせてくれたやつ。日差しの溢れる台所で、そいつと、そいつの彼氏と、猫がいて、それがどんなに神々しくて、素敵なものだったか。なんにも聞かずに、私の話に頷いて、海に一緒に着いてきてくれた。

私が、私がはぐくんだ。
私は踏み出して、あたらしい人たちと繋がった。
それを誇りに思うし、それに応えてくれた人たちのことを、宝物に思っている。

それを。あんな言い方、私、すごくいやだった。
うわっつらとか、甘やかされてるとか。
心配してくれているのは有難いけれど、けれど、声をかけてはくれなかったね。杖をついた私を、雑踏の中振り返りもしなかったね。けっこう酷いことを私グループLINEで言われたけど、それに私がどれ程凹んで、そんなふうに思われてるなら、ちっとも会いたくないなって、思ったこと。そうしてそれを、そういう性格だからって言われても、気安い間柄だからって言われても、私、うまく飲み込めないんだ。だって私たち、もう30も前の歳だよ。色々、たいへんなこと、増えたじゃん。なんか、なんか、優しくないことが、気を使わないことが、気安いってことじゃ、なくない?

ずっと一緒だったね、私たち。
ほんとに大好きだよ。13の頃から一緒なんだから。
でも、なんだか、幼馴染の気安さが、不躾に変わって、それを飲み込むべきなら、私、今は君たちといるのが、かなりしんどい。

もしここを見ちゃってたら、ごめんね。
(これは気持ちの整理用のnoteだからね。言い返したいこともあるだろうしね。)

でも、今は無理みたい。

色々大変そうな人に声かけるのって、難しいよね。分かるよ。私、控えめに言っても、頭おかしかったしね。でも、必死に色々、もがいてたんだよ。恋愛とか、仕事とか、体調とか、家族とか、もう、生活の全部。それでいろいろ、手に入れたり、なくしたりして、変わった。君たちの言うように。

その結果、いまは道が別々になったんだと思う。
また交わることがあったらあそぼう。
いつかまた気が向いたら連絡して。
またいつかね。


五月雨をあつめて私うみへゆく まだまだ楽しくなれるはずだよ/菅沼ぜりい


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