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死ぬときにみるひかり

※性や死についてセンシティブな話が含まれます
※わたしの認知療法的な雑記です。なんの根拠もなく、なににたいしての意見でもありません。



奇妙な夜だ。
もうすぐ死ぬ犬を囲んで、とくべつ仲のよくない家族が、同じ部屋で眠っている。
余命わずかな犬と最後の思い出を作る旅に来ている。父と、母と、妹と、弟と、わたし。

母が犬の背を撫でる音がする。
それが耳障りだった。

病んだ犬の治療法で、母と、私や妹は、すこし、揉めた。揉めたけれど、既に家を出た姉妹よりも、毎晩同じ布団で眠り、世話をするものが優先されるべきだろうと思って、私たちは折れた。
いや、言葉を飲み込んだ。

この家で母は、いちばん強かった。母というエネルギーに飲み込まれたひとりの女が、いちばん眩しく、強かった。犬はそのひかりに捧げてしまったとわたしは思った。犬は、わたしのもうひとりの妹だったけれど、それよりも、それよりずっと強く、彼女の娘だった。

この世の全ての娘は、母親の持ち物である。
息子は違う。娘だけだ。
娘は、すべからく、母親の持ち物で、それが嫌ならばもう、殺して引きちぎるしかないくらいの。


母になりたくない。
祈るように、血を吐くように思う。
結婚をして、だからだろう、子供を作っておくべきだよと、いわれた。子供が訪ねてこなかった、妙齢の女性が、自分の人生を少し恥じるみたいにして、私にそう言った。自分のためだけに生きる人生って、だんだん、かなしくなるよ。虚しいんだ。こどもみたいなんだ、どこか。そう言った。

やっぱりそうかとおもう。薄々きっと子供を持たなければ、そういう目にあうだろうと思っていたことが、事実経験として、目の前で語られるのは、やはり、怖かった。

どうして産みたくないの?と聞かれた。
先天的な疾患が遺伝するのが怖くて。それに、わたしのケア役にしてしまうのが怖いから。
そう言うと、そっか、こどもの幸せを考えてのことなんだね、ごめんよ。と言われた。
いいえ、と私は少し笑って言った。

けれど、うっかり子供が出来たら?とおもう。
というか、最近そのことばかり考える。

ちなみにそうなったら現在、選択肢は堕ろすしかない。なぜって、そもそもお金が無いからだ。
経済的に余裕は、全くない。
そもそも全てが限界だった私をどうにかするために結婚したようなものだから、全てがつぎはぎだらけの突貫工事だった。よく許されたものだ。

てかじゃあセックスすんなよ。
それは正論だけれど、それって現実的か?
現実的じゃなくないか?実際さ……
ある程度するのは義務らしいし、包み隠さず言うなら、好きな方だし、……
すんなよ、って言うのは本当に簡単だ。
でもそれで零れたものを、わたし日常で拾わなきゃならない。

(もちろんできうる限りの避妊はしている。ピルも飲み出したけど、最近のことだから遅かったかもしれない。ていうかピルさ、吐き気が止まらないよ。わたし、ADHDの薬も飲んでるし。煙草も吸ってるし。多分まずい。病院に行った方がいいって言われないことが、なんだか少し虚しい気もする。まあ、言われなくても行くべきなんだけどさ…)


もし子供が出来たら殺すのは私だ。
私が検査し私が病院を探し私が医者に説明し、私が選択し私が殺す。
そのまま放っておいたら育って意志を持ったはずのものを、なかったことにするのをわたしは、殺人だと思ってしまう。おもいたくない。理性でそれは殺人なんかじゃないって思う。でも夜、1人の布団の中できっと、死ぬまで何度もおもう。
私は人を殺したって。

命ってなんだと思う。いのちってなんだよ。
なに?おしえてくれ。たすけてくれ。


わたし、毎日、死にたいと思っている。

生まれて来なければ、こんなに誰かをめちゃくちゃにせずに済んだのにとおもう。
体が毎日重い。まるで、泥水の中を泳いでるみたいだった。上手く息継ぎが出来なくて、全てが私を責めていた。えら呼吸なんてこどもでもできますよ。しかし私には肺しかない。もはや杖を使って歩くできそこないの私に、両親はなんのコメントもしなくなった。ただただ惨めだった。自分の食い扶持を、自分で稼げないことが。

メンタルクリニックでは、性転換手術とかあるからね、とか、言われる。私が性に違和感を覚えてる話をずっとしていたから。今でも性的対象は、本当は女の子だ。男よりずっと、女の子とセックスがしたいと思ってる。よくわからない。何が正しいかもう、自分でもよく分からない。

ふわふわの犬が眠っている。母の隣で。

いのちってなんなんだろう。
弟が夕方、釣っていた魚のことを思い出す。
釣り上げられ、陸で跳ねたかれらは、死ぬ時苦しくなかっただろうか。そんなことを考えるから、魚釣りは苦手だった。

いのちってなに。
私が宿せるもの。気持ち悪い。殺すもの。女を母に変えるもの。呪いみたいなもの。

いのち、
死んだら光がある場所にゆくもの。私が食べてきたもの。代わりに誰かが殺してくれたもの。理不尽に、いや、悪意を持って引きちぎられることもあるもの。憎み切れはしないもの。

このふわふわの犬とか。


もし殺すことになったら、きっとわたし、ものすごくお寺に通って、祈って、そして心を病むだろう。けれど決めなければならない。犬をひかりに捧げたみたいに。

わたしが笑っていきるために、どれほどの命が絶たれただろう。今迄は代わりの手があった。ならわたしの番になることもきっとあるだろう。
理屈としてなら、かんたんだ。

わたしがきっと死ぬ時は、わたしのために死んだ全てに手を合わせ続けて死ぬだろう。
そうであれとおもう。
そうであろうとおもう。


死ねないとおもう海鳥なく夏に自分勝手な祈り 潮騒 /菅沼ぜりい












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