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綺麗な人

高3の頃、
祖父・清の旧友である
画家の寺田政明さんの
大回顧展が板橋区立美術館で開催された。
まだご存命であり、日本を代表する画家であった。
そして、板橋区に永く住まわれており、板橋区が誇る大画家でもあったのだ。

その大回顧展のレセプションに
高3である私は呼ばれていた。
祖父・清は「そういう席は遠慮するよ」。
せっかくなので、同じ美術部のフナバ君を誘って2人で参加させてもらったのであった。

レセプションなるものは
もちろん初めて。
寺田さんのご子息は
俳優の寺田農さんである。
もちろん農さんご本人も参加されているし、乾杯の音頭を取ったのも農さんだった。

オトナばかりの
暗くて
立派な立派な
レセプションパーティーだった。
あんなに凄い
立食のパーティー形式のレセプションは
あの時しか知らない。
あんなに派手なレセプションは
多分、銀座でも無かったであろう。

同行したフナバ君は
目を白黒させて震えていた。
紙皿と紙コップを両手に持ち
そして小声で
「まーし、僕たち場違いじゃない?」。

寺田さんは私を見つけると
不自由な脚をひきずり
杖をつきながら寄ってくれて
大きな声で
そして、とても嬉しそうに
「よく来たね、よく来たね。
よく来たね。」
何度も連呼したのであった。

私も、いや
ひろこも
とても嬉しかった。
こんなにも可愛がって頂いて。

フナバ君は益々目を白黒させて
「え、まーし、凄いんだけど。
え、なんで?」

それは祖父・清の虎の威を借る
だからだ。


夜更けに
急に
リアルに思い出した
レセプションの素敵な思い出。

なんだか、幸せな気持ちが
胸いっぱいに拡がった。
あの時の寺田さんからの
惜しみなく注いでくれた
愛を今も感じている。

もちろん、祖父・清からの愛も
燦々と感じていたし
今も強く感じている。

今、
ひろこが強く生きているのは
彼等からの燦々と降り注ぐ
愛のおかげである。

彼等の美術を愛する心が
戦前、戦中、戦後の
大きな動乱の中に有りながらも
脈々と切れることなく
護られてきたのである。

彼等の愛が
絵画や素描を疎開(疎開先は国分寺の旧家)させて
守られてきたのである。
今、美術館に収められている作品の数々は
彼等の愛によって
守られてきたのである。

今の私に
100年後を見据えてまでの
愛は有るだろうか。
正直わからない。
けど、こうして語り継ぐ事は
出来る。

祖父・清
ちょっと偉大過ぎて
最近ようやく、わかってきた気がする。

※祖父・清はいわゆる篤志家。
戦前戦後の池袋のモンパルナスと呼ばれた画家達のパトロンであった。


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