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星を想う日


今や、星の光は何の役にも立たない光の粒となってしまいました。


日々の生活に追われて、目の前には仕事が山積みになって、対処しなくてはならない問題が足元に散らかっているのです。

何の役にも立たない光の粒のことを
考えている暇など、私達には無いのです。

それに夜空は眩しい光で霞んでいて、私も生まれて一度も銀河を見たことはありません。

天文イベントにみんながみんな、関心があるわけではありませんし、銀河鉄道の夜みたいに、「銀河のお祭り」みたいなものも、あまり見ることはありません。


それでも七夕は、子供の頃から誰もが触れてきた行事です。

幼稚園や保育園で、願い事を短冊に書いたかもしれません。

小学校で星の形の果物が浮かんだ七夕ゼリーを食べたかもしれません。


けれども七夕との接点は、子供と関わっている人以外、大人になるにつれてなくなっていきます。

夜空を見上げることも、遠くの星々のことを考えることも、多くの人は忘れてしまっているのかもしれません。私もその一人です。

見なくてはならないのは、何光年も離れた星たちではなく、目の前の現実だからです。

それでも今日は、少なくとも一年でいちばん、みんなが、星のことを考える、考えるとまではいかなくても、星のことを思い出す、そんな一日になるのかもしれません。


そういえば駅のお菓子屋さんにも、星の形をしたお菓子や、銀河をモチーフにしたお菓子がありました。

お花屋さんにも、夜空をイメージした花束がありました。

こんな日がずっと続けばいいのにと、思ってしまいます。


そう、
それに、ここが重要な点だと考えているのですが、七夕は日食や月食、スーパームーン、流星群など、実際に科学的な、何かしらの天体現象が起こるわけではありません。

天文イベントと七夕が、明らかに違うのがその点です。

「七夕」は物語と夜空が手を繋ぐ日なのです。


昔むかし、ここは夜空の中。
天の川の近くに織姫という機織りが上手な娘が住んでいました。


神様は、牛の世話をする真面目な働き者の彦星という青年と彼女を出会わせます。

二人は一目惚れして、すぐに結婚します。

しかし二人は遊んでばかりで仕事をしなくなります。
それに怒った神様は、二人を天の川を隔てて離れ離れにしたのです。

そうすると、二人は泣いてばかりの日々を過ごしました。

さすがにこれではかわいそうだと思った神様は、真面目に働いたら、一年に一度、会わせてあげようと言いました。

かなりざっくりですが、これが七夕の物語。

天の川を隔てて瞬くベガとアルタイルを見上げて、中国の昔の人は、こんな物語を考えたのです。


遥か昔、宇宙は物語でできていて、物語が宇宙をつくっていました。

古来より、物語と夜空は切っても切り離せない存在だったのです。

今では離れ離れになってしまった物語と夜空。

そして夜空と私達。

それらが今夜、日本中の人たちの心の中で、ほんの少しでも、一瞬でも、繋がったなら、私はとても嬉しく思います。


素敵な七夕を。


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