日本画は水との格闘
制作机が汚すぎるという点は、どうか見逃してやってください。
机はそこそこの広さがあるはずなのですが、
実際の作業スペースはランチョンマットよりも狭いという悲しき現状。
さて今夜は、「制作の呟き」をお届けいたします。
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今、待ち時間だ。
「水」が乾くのを待っている。
水は、コントロールが非常に難しい。
何より、
日本画に使われる岩絵具や水干絵具は、
濡れている時と乾いている時で全く色が違う。
乾くのを待って、乾いてみないとどうなるか解らない。
乾いたかな?と思って触ってみると、まだひんやり冷たい。
この場合はまだ中が乾ききっていない。
待たずに次の作業をすると絵の具が剥がれる。
かといってドライヤーをかけるのもヒビ割れのリスクが上がる。
「乾き待ち」の時間が非常に長い。
水の扱いが難しい点は他にもある。
水によってしみができること。
そのしみがあるだけで完成度が下がるので、これも無くさなくてはならない。
しみを水で伸ばし、さらにその水のしみができ、それをまた伸ばす、の無限ループ。
最後はドライの画材である色鉛筆で仕上げることも多いけれど、質感が浮くことがあるので注意しながら行う。
筆跡、刷毛跡というのもなかなか厄介だ。
水を使う絵画である以上、これらはつきもの。
その筆跡刷毛跡を伸ばしたり、重ねたりして目立たないようにしなければならないが、注意しないと下の絵の具が剥げたりする。
水は本当に扱いが大変だ。
色鉛筆や鉛筆などの水を使わない画材は、「リアルタイム」で完成形が見れる。
しかし、水を使う日本画や水彩画は「乾き待ち」というタイムラグが生じる。
水は生きもののようで、言うことを聞かない。
思い通りにはならない。
例えるなら、手元を見ながら字を書くのと、手元を見ないで字を書いて、書き終わってからできたものを見る、ような違い。
陶芸や版画もそうかもしれない。
今日も結局、筆跡やムラと格闘するだけで一日が終わってしまった。
あまりにも地味な作業だ。
完成間近までいったのに、ムラが気になってそれを修正する仕事をした結果、大手術になってしまう。
数時間の作業がパーになる、最悪の場合、全部やり直し。
何日もかけて描いたものを、剥がす。
そんなことも、たまにある。
じっくり作業できれば良いのだけど、
「締め切り」は待ってくれない。
仕事を円滑に進めるには、「計画」が大事だ。
しかし日本画は、自分のような初心者は、計画を立てても、その通りに作業が進む可能性は、ほとんどゼロだ。
正直、大学の課題ならネチネチ、コテコテ、多少汚くなってもそのまま続行してしまう。
絵の具と格闘することが勉強だからだ。
しかし、展示に出す作品はそういうわけにはいかない。
値段を、つけるからだ。
工芸品を作るような気持ちだ。
値段をつけるからには、責任がある。
当然、綺麗に作らなければならない。
日本画のプロは、
「アーティスト」というよりも、「職人」なのかもしれない。
画材に振り回されることなく、表現に集中できればいいのに、と思う。
それには熟練が必要なのだろう。
私は大学に入ってから日本画を始めた。
まだまだ画材に振り回されてばかりの初心者だ。
実は、美大で日本画学んでいる学生の大半は、入学して初めて日本画材をさわる。
これは衝撃の事実かもしれない。
本当に自分は日本画に向いているのだろうか。
自分の表現手段として日本画は合っているのだろうか。
乾くのを待ちながら、そんなことを考える。
......あまりに泥沼だ。ずっと同じ作業を繰り返して進まない。
今日は何をやってもうまくいかない気がするので、寝る。
結構時間がかかっている。
何としても剥がしたくない。完成に持っていきたい。
……気が気じゃないけれど、明日の自分に頑張って対処してもらうことにする。
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何をやってもうまくいかない日、というのが
誰にでもあります。
それも、まあまあの頻度で。
不思議です。
ほんとうに、何をやってもうまくいかないのです。
そんな日に、寄り添うものでありたいのです。
今夜は黒い雲に透ける赤い月と会えました。
おやすみなさい。
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