自分に無いから、憧れる
ないものねだり。
今日は「作風」について書いてみる。
憧れる作品、こういうの好きだなーと思う作品は、大体自分が描いてる絵とは全然違う。
自分にとって考えやすい絵、描きやすい絵柄が、自分が「好き」なものと一致しているとは限らない。
他の人はどうなのか分からないが。
ちょっと聞いてみたい。
でも私の場合は、一致しないことの方が多いし、むしろ真逆だったりする。
ええっ、そんな事あるの。
でもこれ、作品を作っている人には、結構あるあるなんじゃないかと思っている。
ずっと以前、展示でご一緒した方と話していたとき。
その方の作品の色使いは淡く繊細で、深みがあり優しい色味をしていた。
でもその方は、本当は自分はもっと原色に近い、強い色が好きなんだと言っていた。
えっ!意外!!
でも、物凄く、わかる。
ミュージシャンでもそういうことを聞いたことがあるような。
例えば私は、物語感のある、人物や風景の入った具象絵画、ファンタジックで、絵本の挿絵をイメージしたような作品を多く作っている。
でも自分の「好み」、他人の作品を見ていて好きだなぁと思うものは、詩的な抽象画が多い。
私はそういうものを、一度も描いたことがない。
というかなんか、描けないと思ってしまう。
自分とは別物だ、と感じてしまう。
自分には無いものだから、憧れるんだと思う。
「憧れ」という言葉がしっくりきた。
そうそう、憧れだ。
自分の好みな作品を、自分でも作れたほうが心地よいし、楽しいに決まってる。
自分の作るものが、自分で好きじゃなかったら、それは辛いに決まってる。
歌を歌う人が、自分の声が嫌いだったら、それは辛いに決まってる。そんな感じだろうか。
自分の好みと自分の絵柄が違って辛く感じることが時々ある。
でも絵柄というのは声帯とは違う。
変えようと思えばいくらでも好きなように変えられる。
だからこれからは、自分の絵柄と自分の好みが一致するように研究したいと思う。
でも以前に比べれば、だいぶ近くなってきたとは思う。
自分の好みとあまりにも違う絵柄は、もう今は描かないようにしている。
今は好みじゃなくなって描かなくなった絵柄も、もちろん以前はそれが大好きだったから描いていたのだ。
でも人間の好みは変化していく。
特に私は、めまぐるしく自分が変化している最中だ。
去年一昨年の自分の好みと、今の自分の好みは全然違う。
考え方も何もかも、変化している。
成長期真っ只中の子供みたいだ。
小さくなった服を着なくなるように、
足に合わなくなった靴を履かなくなるように。
それを無理して身につけ続けていたら、成長が阻害されるだけだ。
そうそう今日は、新しくやりたいことを思いついたんです。
自分の「好き」や「憧れ」の作風に、
一歩近づけるかもしれない、シリーズを思いつきました。
なので今日は少し嬉しい気分です。
今度材料を買いに行きたいと思います。
あ、文体が変わってしまいました。
(咳払い)
誰しも、自分の作品と好きな他人の作品の絵柄とが、多少は違うんじゃないかと思う。
これが完全に一致することなど、本当にあるのだろうか。
完全に一致している人って、いるんだろうか。
「好き」と「できる」の不一致は、往々にして起こる。
それは結構苦しいことでもある。
でもその食い違いがあるからこそ、研究したいと思うし、成長することができる。
以前、とあるプロのイラストレーターの方と話していた。
「仕事を受けるために、自分の作風を決めてそれで統一している。でも、本当は他にもやりたい絵柄があって、絵柄を変えたくて悩んでいる」
と、その方は言っていた。
「描きたいものを描いていいと私は、思います。〇〇さんの色々な絵柄のバリエーション見てみたいですし、あぁ、こんなのも描かれるんだ!っていうのも、いいんじゃないかと私は思います」
私はそう言った。
イラストレーターさんの仕事のことを、私はよく知らない。
絵の依頼を受ける仕事で生活をする、ということについて、私は何も分かっていない。
無責任な発言だっただろうか……。
ふと、この言葉を全くそのまま、自分に向けて言ってみる。
私はデザイナーでも、イラストレーターでもない。
生活もかかっていない。
ただ自分勝手にものを作っているファイン系の一学生である。
別に、何を作ったって良いはずだ。
どうして自分で自分を縛っているのだろう?
つくりたいものを、つくればいいのに。
自分の作風はこうだから、と決めなくていいのに。
やればいいだけだ。
どうして今まで、そんな単純なことに気がつかなかったのだろう。
やってみる。
いつか自分の作風と、自分の好みとが完全に一致することができたなら、もっともっと、つくることを好きになれるのだろうか。
ちょっとだけ、背伸びをしてみる。
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