見出し画像

備忘録【支えとなる言葉】

夜ですね。大切にしている平山郁夫の絵葉書をもとに、今晩は少し長い問わず語りを。



去年の5月。海の上に架かる橋を自転車で渡り、生口島にある平山郁夫美術館を訪れた。

美術館の入り口には平山の代表作「仏教伝来」が飾られ、入館者を静かに出迎える。平山が20代の終わりに描き、日本美術院展に出品した作品だった。 中国・唐代の僧、玄奘三蔵法師をイメージしたこの画は、原爆投下による被爆を経験した彼の「死ぬまでに1作でいいから平和を祈る作品を残したい」という願いから生まれたものだった。

白い馬と黒い馬に跨がった二人の僧を淡い輪郭線で象った「仏教伝来」。その美しい一枚の画から始まる幻想的なシルクロードの世界。とりわけ目を引くのはアズライト(藍銅鉱)やラピスラズリ(青金石)を用いた青色の砂漠の風景画だった。時間を忘れて美術館を巡っていると、館内の片隅に置かれた新聞の切り抜きといくつかの写真が目に留まった。

切り抜きは当時著名な美術評論家だった河北倫明の院展評の記事。 数々の画家への称賛を記した末尾に河北は平山の「仏教伝来」を「おもしろい味がある」と評した。
後に平山は、このたった一言を励みに画を描き続けたという。

記事と解説を読みながら、私は自分の高校生の頃を思い出した。
文芸部員だった私はある文学賞に小説を出品し、「美しい作品」と評を頂いた。最優秀賞となったことよりも、敬愛していた芥川賞作家から「美しい」と言ってもらえたことの方がずっと嬉しかった。大学に入った後も文芸部に所属し創作を続けたのはこの言葉があったからで、今短歌を詠む時に意識するのも「美しさ」だった。

自分の作品を誰かから評価してもらえるのは、本当に嬉しい。それが、たとえたった一言だとしても。

両脇に明かりを灯し、祈祷を捧げる修行僧のようにひざまづいて壁画を模写する平山の写真へと視線を移しながら私は思った。
良い、と評価される作品は存在しても『これを満たせば完璧』という絶対的な答えや指標がない芸術の世界で、平山は原爆症を患いながら絵筆を執り続けた。 白血球が通常の半分以下になった体で、果たしてどれほどの気力を振り絞ればそんなことができるのだろう。出品を重ねても画壇からなかなか評価が得られない中、もうやめようと思ったのは一度や二度ではなかったはず。新聞に載った「おもしろい味がある」という一言は、血の滲むような彼の研鑽を報いて余る希望だったのだ。

私が歌を詠む時にいつも傍に置く言葉があるように、平山にも支えとなる言葉があった。『嬉しい』、そう純粋に思い大切にしていた言葉が。
日本画の巨匠にほんの少しだけ親しさを覚え、私は何枚かの絵葉書を買って美術館を後にした。

いつか私は、自分が与えてもらった言葉を誰かに渡せるだろうか。
創作という宝物は、時にとてつもない重石となる。大切だからこそ、つらい時がある。誰かがその宝物を手放しそうになった時、それでも放さずにおけるような力に、楔に、なってくれる言葉を。

絵葉書を見るたび、そんなことが胸を過る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?