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子育ては鏡のよう。


私は子供が苦手だった。
話は通じないし、わがまま言うし、とにかくキャーキャーうるさい。
独身時代は、騒ぐ子供をみると怪訝な顔をする、いやな感じの大人だった。

そんな私が結婚し、子供を産んだ。
子供を産んで産院から自宅に戻ると、夫と子、私と3人暮らしが始まった。

夫が仕事でいない間、すでに赤子とどうしていいかわからず、朝と夕方のEテレを首も座らない娘に、見せるのが精一杯だった。

そんな娘も歩き始め、拙いながらも会話ができる様になってきた。もちろん、自我も出てきて、扱いにくくなってきたころのことだった。

夫のいない平日、娘が寝ぐずりした。お昼ご飯を食べ、眠たいがうまく眠ることができず、グズグズ泣き出してしまった。最初は、よしよし、と私も話を聞く姿勢をとっていたが、鳴き声がヒートアップするにつれ、私も段々イライラしてきた。

冷静になれば、1歳児が「はい、わかりました、泣くのをやめます。」と言うはずもないのだが、頭に血が上ってしまった私は、もう、自分を抑えることができなくなってきた。

「もういい加減にして!」
寝室の、布団が山積みにされているところに、娘を投げた。そして勢いよくドアを閉めた。

「マーマー!マーマー!」
扉の向こうで扉を叩き、娘が泣き叫んでいる。
私は気持ちが高ぶっていて、扉を開けることができない。むしろ開けてやるものかとさえ思っていた。そのまま、キッチンへ行き、コップに水を入れ、一気に飲み干した。

我に返った。
お父さんと同じことしている、自分がここにいる。

私は、小学生低学年あたりだろうか。何をしでかしたのか、内容は忘れているが、父に担がれ、泣き叫ぶ私を容赦なく玄関から外に放り出されたことがあった。

私は、もう家に入れないのかもしれないと言う焦りと、父の表情の怖さと、いろんな感情が重なり、泣き叫ぶしか方法がなく、ドンドンドンと玄関のドアを叩き大声で泣いていた。
しばらくして、母にこっそり家に入れてもらったが、40を過ぎても、そのことは鮮明に覚えている。

私は、父のような親にはなりたくはなかった。父の様な子育てはするまいと、心に誓っていた、はずだった。

私が知っている子育ては、自分の親が、私たちにしてきたことしか知らない。他の親に育てられてことはもちろんないし、他の親がどうやって子育てをしているのか、見たことも聞いたこともなかった。

こわい。
自分が父親と同じ様なことをしていることに、一抹の不安を覚えた。
私も、私が親にされて嫌だったことを、娘にまた、してしまうかもしれない。

私は、藁をもすがる思いで、パソコンをひらき
「子育て ママ」
「子育て 楽しく」
など、自分の子育てに対する考えを変えたいと思った。

パソコンで調べ、出会ったのが、「ママイキ」という、ママ向けのセミナーだった。ちょうど近くで開催予定がある。子供を一時保育に預け、そのセミナーへと向かった。

講座の一番最初に、講師のひろっしゅコーチが、座っているママさんたちへ向けてこう言った。

「みなさんこんにちは。ひろっしゅコーチです。まず最初に、私の言うことを聞いてくれますか?」
「両手をあげてくださーい!」「そのまま手をひらひらさせてくださーい!」
「面白いねぇ。全員で。おかしくない?」
どっと、笑いが起きる。さすが、最初の掴みがうまい。

「じゃあ続けていきますね。目の前の人いるね、その人のこと、好きになって。」
え?目の前にいる人は、今日、いま、初めて目があった人だ。まあ、女性だし。好きかな?いやいや、と思い、お互い照れ笑いをしているうちに、またコーチから声がかかる。
「結婚してもいい!って思えた人いる?」

会場がざわめく。誰も手を上げない。そりゃそうだ、そんなの無理に決まっている。
「好きになれないよねぇ。初対面だし。」

「私の言ったこと、みんなすんなり言う通りにして、手をひらひらさせたよね。でも、好きになっては?感情って、人から言われて、指示通りにすることができない、でしょ。」
会場のママさん、みんなウンウンとうなづく。
両者の違いは、動かすものが「行動」か「感情」かの違いだ。

「じゃあ、聞くけど、みんな、子供にこう言ってない?」
「もう、泣かないのっ!って大声でいってない?」

ハッとした。雷に打たれた気がした。
つい最近も、泣き止まない娘に大声で怒鳴ったところだった。
娘の感情をコントロールしようとし、それが出来ないことにイライラし、娘に八つ当たりをしていたのだ。

「人の気持ちは天気と一緒。空に向かって晴れろー!っていっても晴れないでしょ。他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来。」

人は感情で感じて行動する生き物だ。
自分が自分でいられない時は、自分の感情に振り回されている。自分の感情すら、コントロールすることが難しいのに、娘の感情をコントロールしようなんて、土台無理な話だ。

人の感情が天気と同じとするならば、私は空に向かって「雨よ止んでくれ、お願いだから止んでくれー!」と怒り叫んでいるのと同じ。ふふふ。はたから見たらなんと滑稽だろうか。

どんな天気でも、それを受け入れて過ごせば、天気に振り回されることはないかもしれない。澄み渡った、青空の様なご機嫌な日もあれば、嵐の様な雨の日だってあるさ。そう思えるだけでも、娘に対してのコミュニケーションがグンと楽になった。

私の父は、自分の言った通りに走りなさい、というレールを敷き、そこから脱線しようものなら激怒する、相手の感情を是が非でもコントロールしようとするタイプだった。

昔、高校入学のお祝いに、ダブルカセットデッキを買ってもらった。
当時は珍しく高価なものだったが、買ってもらってすぐ、思春期だった私は、父に反抗したばかりに、そのデッキを取り上げられ、中古品店に売り飛ばされてしまった。
だから、父に対して嫌悪感をずっと拭えなかったのかもれない。

実家に帰省した時、この「ママイキ」のセミナーのことを母に話し、ラジカセ売り飛ばされ事件の話になった時、母がこう言った。

「そういえば、おじいもひどかったんだよ。おばあやお父さんが言うことを聞かないとステッキで叩いていたもん。怖かったさー。」

父も、子育てをするにあたり、自分の父親からしてもらったことしか、わからないんだ。だから、同じ様にしか接することができなかったのかもしれない。
私には兄がいるが、兄は一番上ということもあり、父からの干渉がひどかった。挙句、その当時通っていた学校を休みがちになり、今でいうニートの先駆けというのか、部屋に引きこもる様になってしまった。

私は無意識のうちに、父と同じ道を歩もうとしていた。
このままだと、同じ歴史を繰り返してしまう。子供達に、私と同じ思いをさせたくはない。
ここで、連鎖を止めなければ。と。

子育ての苦しみから、見つけた「ママイキ」が、私の中の思考を180度変え、雷に打たれたような衝撃を与えたのだった。

「ママはおじいにそっくりだね。」
主人に言われてとても嫌だった言葉だが、最近どうかと尋ねたら
「角が取れてきたね。」とのこと。しめしめ。
子育ては鏡だ。いつも三角の目をしていたら、子供も自ずとそうなるだろう。
考え方ひとつで、楽になる。楽になったのだ。

私の思考を変えてくれた「ママイキ」の中で今も肝に命じている言葉がある。
それは「子育ては期間限定。」ということ。

これが手を繋ぐ最後の日かもしれない。
これが一緒にお風呂に入る最後の日かもしれない。
これが最後かもしれない。

終わりは突然やってくる。
私は、終わる日まで、子育てを味わいつくしたいと思える様になった。
子供が嫌いだった私が、だ。

怒りの感情に振り回されそうになったら、その言葉を胸に、時々思い出して、子供を育てていこうと思う。

《おわり》

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