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とある魚民の、とある人生の話

お久しぶりすぎます。皆さんこんにちわ。
もはや誰もnoteの更新を期待していないとは思いますが、書きたいことがある時だけ書こうと割り切っております。

突然ですが、12年間務めた会社を退職しました。
今日が最終出勤日でして、あとは有給消化という形になります。

退職した(厳密には今月末だけど)今の心境としては、本当にやり切った感と清々しい思いで一杯です。4月からの新しいチャレンジにもドキドキしています!

決意したのは去年の秋で、43歳の誕生日を迎えた頃でした。
世間一般的には、43歳の理学療法士が転職など「無謀」の一言に尽きるのではないかと思われます。

中年理学療法士がこんな決意をしたのは色々とありまして、、

今回はその点に関して心境をつらつらと語るだけの内容です。
あまり面白くないかもしれませんが、人生に迷ってる人、新たなチャレンジをしたい人等に、何かが届くと良いかなと思います。

私は病院、老健、そして今の訪問看護ステーションと3ヶ所、計15年勤めました。どれもこれも良い経験となったと思っていますが、40歳過ぎた頃から色々と考えることが増えてきました。

「残りのキャリア(約20年だと仮定)、自分が本当に一生をかけてやりたいことって何なのだろう?」という点です。

様々な経験をした結果ですが、病院や老健に戻りたいという思いはゼロでした。かといって、訪問看護ステーションの療法士に未来があるとも思えません。(不愉快な思いをする人がいたらすいません。)

終身雇用も完全に崩壊し、今の会社にずっといれば給料が上がる、という時代でもなく、政府が社会保障費に今以上のお金をかけることもなく、療法士という職業に今以上の伸びしろがあるとも思えず、、(またまた不愉快に思う人がいたらごめんなさい)

色々なことを考えた結果、一つの答えが出ました。「やりたいことをその場その場で全力でやった方が良い」というシンプルなものでした。

私がやりたいこと、それは自分の子供(自閉症、知的障害)を始めとする、ハンデのある子供たちや若者たちが活躍できる社会を作る仕事がしたいというものでした。高齢者の医療と福祉に関しては15年間でやり切った感もあり、これ以上のモチベーションは正直ない、という気持にもなっていました。

だがしかーし、中々理学療法士という資格と、自身のやりたいことがリンクしません。この時ほど「作業療法士や言語聴覚士にすれば良かった、、」と思ったことはありませんでした。

そんな思いを抱えつつ、気づいたら40歳から2年以上経過し、転職も正直厳しい年齢になっていました。「このまま訪問看護ステーションでいくかなあ、、」という半ばあきらめモードになっていた、去年の秋。

地元の社会福祉法人(障碍者福祉施設や特別支援学校、就労支援等を運営)で、
「理学療法士 兼 生活支援員」という募集要項が!

、、これだ、これしかない、、、!

勝手に運命を感じたワタクシすがちんは、とんでもない熱意で履歴書を仕上げ、とんでもない熱さを面接でアピールし、多分落ちるだろうと思っていた面接を通り(割と受験者が多かった)、4月から念願であったジャンル(職場)で務めることになったというわけです。

決して今の職場に不満があったとか、直ぐに辞めたかったとかは全くありませんでした。ただ、人生の大きな決断をするなら今しかない!とも思いました。

私、実は割と運命を信じる方でして、社会人入学で理学療法士の資格を取り、ハンデを抱えた息子が産まれ、その資格を活かしつつ、ハンデを抱えた若者たちをサポートする仕事にようやく巡り合えた!と一人で感動に打ち震えております。

ただ、今までやっていた仕事とあまりにも違う世界に入ることとなり、不安も多々あります。仕事の具体的なビジョンもまだ浮かばない以上、今できることは障害者総合支援法の勉強をすることぐらいかなと思います。

有難いことに、1週間ほどの有給休暇がとれたため、家族で小樽旅行を予定しています!(別名:サカナクション聖地を巡る旅)
勿論私たち家族の旅行は完全に息子が主役であり、博物館や水族館を中心に行きたいと思います。

が!せっかくの小樽。山口さんの実家の木彫り工房を目指さずに何を目指すのか!行った際には是非ツイッターなどで報告したいと思います。あの名曲ライトダンスが産まれた景色を見てみたい。。

お久しぶりすぎるnoteでしたが、今日のこの気持ちは書き留めておきたい!という思いが強くあったので、久しぶりにパソコンを起動してしまいました。

40代、まだまだ張り切って行きますよ!色々とこれからだ。

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