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裁判沙汰になっても。

失敗は成功のもと、ピンチはチャンスというけれど、ウェディングで裁判沙汰になったら流石にへこむ。
次はがんばります!といった類のものではなく、やり直しのきかない一発勝負のウェディング。準備万端整えて「わたし失敗しないので」と言い切らなければいけないのだが、どうにもこうにも、、にんげんだもの。いろいろあるのだ。

新婦の名前を間違えた事件
挙式で牧師が新婦のお名前を間違えてしまった。私もその時、後ろの方に居て「あ、間違った」と思ったがもう遅い。新郎新婦退場の時だ。

そのあと司会者もアテンダーもみんな間違えた、その原因はプランナーである私の進行表のふりがなが間違っていたからだ、との新婦の主張であった。

牧師以外は把握していなかったため、聞き取りをしたら司会者もアテンダーも間違っていないという。私が作った進行表のふりがなは確かに事前の打合せ資料では間違っていたのでご指摘を受けて直し、間違えやすい読み方だったので1週間前の司会打合せの時も新郎新婦の目の前で司会者に念を押したはずだ。

が、本番で言った言わないは水掛け論に過ぎない。

顧問弁護士の事務所にいって事の顛末を説明していたら、途中で声が枯れて話せなくなった。多分、私はこの手のストレス耐性が非常に低い。社長や上司に怒られてもこれ程のダメージは無いが、対お客様だと途端にヘタレになる。その後は上司が対応してくれた。

いくら誠実にお詫びをしても「誠意を見せてください」と言われたら「あなたのいう誠意とは何ですか?」と聞き返すのだと弁護士さんは言った。お金を要求してきたら恐喝だということだった。

結果的には裁判の手前で示談になった。ふたりはその後、この日を無かったことにしてもう一度結婚式をやり直したらしい。 
え、噓でしょ。。



始まったら終わる
こんなギスギスしたやりとりが、しあわせの現場でも起きている。

30年前、式場に勤めていた時「婚礼は慶事に免じ笑ってご容赦もあるけど、葬儀は笑い事じゃすまないから緊張して大変ですよね」と先輩に言ったところ、その逆だと言われた。

葬儀は準備から施行までバタバタと3日で終わるから、間違いにはお詫びをして許容してもらえる可能性は高いが、婚礼は半年も1年も前から準備してるから間違えられないのだと。私なら葬儀のシーンとした雰囲気で何かやらかしたら失神しそうだ。

誤解があってはいけないので補足するが、葬儀も婚礼同様フォーマルなセレモニーなのに3日で全部を準備し滞りなく施行するなんて、心臓に毛でも生えているのかと思うが、

葬儀のスタッフも意外と優しいハートの持ち主が多い。しかも間違え具合によってはクビも覚悟である。

とにかく結婚式もお葬式も「始まったら終わる」これが格言であった。
ひとたび始まってしまったら、あとはもう間違ってもモノがなくても止められない、やるしかないのだから、ちゃんと準備をしなさいという意味だ。


それでも名前を呼びたい
準備期間が3日にせよ1年にせよ、当然ながら間違えない事が最低条件。滞りなく、無事に、何事も無く。平穏無事とはこのことだ。
だから間違えたらヤバそうなことは最初から避けるのが安全パイ。人の名前は間違えるよりも呼ばないほうが無難である。ご新郎様、ご新婦様、ご両家ご親族の皆様と言っておけば間違いない。

しかし、私は新郎新婦を名前で呼ぶ。

こんなことがあった以降もそれは変わらず変えず、あたりまえだが固有名詞は絶対に間違えないように気を付けながら、

それでも二人称や三人称ではなく、名前で呼ぶ。

かつて、新郎新婦のお顔も名前もドレスの色も何も覚えていなかった時代の、心の底にあった何かから触発されて、私は挑戦したのではないか。

結婚式が終わったら「おめでとうございました。お幸せに」と言ってお見送りをする。式場では決して「また来てくださいね」と言ってはいけないと教えられてきた。(また式場に来るとは縁起でもない!)

だがレストランやホテルではそれもありだ。
「普段のお食事に、結婚記念日に、またここへ来てくださいね。お待ちしています。」

これで終わりではないからこそ、その場限りではないやり方で直球勝負すると決めたのだ。




現場からは以上です。

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