’80年代のブライダルフェア
結婚式場の黄金期、ブライダルフェアは年に2回、オフシーズンの夏と冬に大々的に行われていた。フェアでは結婚式のあれこれがデパートのように実物展示され、見て選べるので、
初めて見学に来る人だけでなく、すでに日取りが決まっている人も招待されて来ていた。どちらかというと新規集客・成約のためというよりも打合せを1日である程度済ませようとする向きが強かったと思う。
まずは全館のレイアウトから
1階のメイン会場には中央に本物の料理が価格ごとに展示され、その周りを業者さんがマルシェのように店を出していた。順路のどこに店を出すかによって売上に影響するとあって、地元の老舗引出物やさんが良い場所に配置され、新参者のカタログギフト屋さんと、指輪のメーカーさん、旅行会社さん等はロビーの隅っこに追いやられていた。高砂にはメインテーブルが3つ並び、装花・キャンドル・ケーキが松竹梅グレード毎に展示されていた。
2階は衣裳。まずは看板商品となる一番高い衣裳が置かれていた。桂由美のドレスや打掛、レンタル100万円の値が付くものだ。安易に近づかないほうがいい。2階はロビーから会場内まですべて衣裳。フィッティングルームも設置され、衣裳部の管轄となる。飲食禁止。
3階は食事休憩所。来場した方全員にお弁当がつく。カップルだけでなく親御さんも一緒に来るため1組当たり6名様で、新入社員やアルバイト君はたいがい弁当出しだ。
予約課おじさんの気概を知る
ロビーで予約課の人が受付をする。私はその当時はプランナーではなかったので担当カップルは居らず新規の案内係となった。アンケートを書いていただき、パンフレットなどが入った紙袋を持ち順路通りに案内する。新規のお客様の紙袋にはピンクのリボンがついていた。
フェアでは新規にセールスをする暇などない。とりあえずサラッと見ていただき、後日営業に行くのだ。引出物屋さんなどはピンクのリボンを見るとおめでとうございますとにこやかに挨拶のみをし、打合せのお客様となればあらゆる手段で引き止めていた。ゲンキンなものである。
私は前述のとおり、現場の施行では新郎新婦の顔も名前も憶えていない、ともすると何色の衣裳を着ていたかも思い出せないという塩っぷりだったが、
受付で来場者のお迎えをしていた予約課(プランナー)の上司は、「この人は○○に住んでいて仕事は○○でお父さんは○○でお姉さんが去年結婚したんだ・・・あ~この人はなぁ、親が反対してて」などと、名簿を指さしながら立て板に水のごとく説明しだした。
担当の15組くらい今日来るんだと言うので、「なんでそんなに細かく憶えてるんですか?」と聞くと「そりゃぁ憶えてるよ」と言って、お客様が入って来るなり「○○さん!お待ちしてました!」と受付する前に挨拶をした。
顔も覚えとる。名前と顔も一致しているのだ。
いや、今となっては分かるのだがその当時の私はえらく驚いて、心の底からすごい!と思った。この上司は酔っぱらうと酒癖が悪すぎるおじさんなのだが、はじめて尊敬の念を抱いた。
抽選会が背中を押す
午後3時からは「結婚式まるごとプレゼント」大抽選会だ。
※現在は懸賞法で規制があります
私は音響照明ミキシングなのだが、企画部は丸投げ状態で、中身の進行演出など台本が一切無いということを何日か前に聞かされる。司会者は来ると言っても司会者が進行表を書くのか? いや書かない。
私は準備の都合もあり進行を考えた。なにしろ結婚式がまるごと無料になる抽選会なのだから派手に演出してやろう。オープニング曲はマドンナのLucky Starだ。
かくしてその日その場にいたカップルの中から1組だけ当選した。
その名前を司会者が読み上げると、後方にいた先輩や上司が「うわー」「あちゃー」などと顔を見合わせている。なんだなんだ?
私が「???」という顔で先輩に聞くと「あの人、ブライダルフェアの常連なの」と耳元で囁いた。「結婚しないんじゃないかな」
ブライダルフェアの常連とは?
1年に2回しかないフェアに何回も来るということはいったい何年越しなのだろうか。そしてその理由とは??
「でもまぁ、よかったね。これで○○さんもやっと結婚できるね」
まるごと抽選会は今回初めてだし、毎回違う女性を連れてくるわけでもない。フェアには来るけどなぜか結婚に踏み切れないふたりの、結果的に背中を押すことができたというわけだ。早速お日取りを!!
30年後に思うこと
その他にもウェディングドレスのファッションショーやチャペル模擬挙式など、’80~’90年代はフェアも派手であった。
結婚=結婚式だったし、結婚式=結婚式場一択、主催者は両家両親だった。
結婚したのに式を挙げないなんてよっぽどの事情があるのかと勘繰られるような世の中。ほんの30年前のことだけれど、今とは全然違う。
そんな時代に結婚式をしたご夫婦が子の親となり「結婚式なんてしなくていい」「自分たちでやりなさい」と息子や娘にいうのを聞くたびに私は、あの時代の結婚式がそう言わせているのかと、ちょっとだけ悲しくなるのである。
現場からは以上です。
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