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だから、お雛様を飾る。

友だちの家には7段飾りのひな人形があった。
赤い毛氈の最上段にお内裏様とぼんぼり、次段に三人官女、五人囃子、『たのしいひなまつり』の歌に出てくるメンバーやアイテムが勢ぞろいだ。
絢爛豪華とは正にこのことだと釘付けになった。

私の人形

私の家にはひな人形が無かった。あるのはひな人形の絵が描いてある掛け軸。文字通り『絵に描いた餅』である。そしてガラスのケースに入った藤娘の日本人形がひとつ。これが私の人形だと母は言った。納得いかない。これはひな人形ではない。〇〇ちゃんちみたいなひな人形が欲しい。

私はテーブルの上に箱などを重ねて段を作り、ぬいぐるみやバービー人形、幼稚園や学校で作った紙粘土のひな人形など手あたり次第飾ってみたが、本物のひな人形には程遠かった。しかし母は「あら~いっぱい飾ったね~」と言って、ひなあられと甘酒、ご飯などをお供えした。ひな人形にも神様がいるのだろうか。神棚や仏壇と同じ扱いである。

七段飾りなどきっと何十万円もするし、飾る部屋も無ければしまっておくスペースもない。1年に一度しか飾られず、見るだけで触ってはいけないひな人形、『本当に欲しいのか?』と聞かれればそれほどでもない。おそらく単に友だちが羨ましいだけだった。私の正体は、人の形をした【嫉妬心】の塊だった。母はそれを見破り『よそはよそ。うちはうち』と言ったのだった。

人形(ひとかた)

嫉妬心は、今も私を操る厄介者だ。
昨年末に神社で、人の形の紙に名前を書いて罪や穢れを移しお祓いをする【人形(ひとかた)】というものを知りお詣りをしてきたが、神様に引き取ってほしいことの一つに嫉妬心があった。

神社の人形(ひとかた)は、お雛様の元だという。
なるほど、母がお雛様にお供えをしていたのもあながち間違いではない。
そういえば昔は、折り紙で作ったひな人形を川に流していた。せっかく作ったのに川に流してしまうのが惜しかったが学校の授業なので仕方がなかった。

尤も今では環境汚染につながるようなことはしないであろう。ひな人形の何たるかを教わり風習を実践した最後の世代かもしれない。

人形(ひとかた)に由来するのか、要らなくなった人形やぬいぐるみを処分したい時には『ぬいぐるみ供養』なるお焚き上げサービスがある。森羅万象といちいち言っていては物が捨てられなくなるが、さすがに人形を燃えるごみと一緒に捨てるのは忍びないので、川に流さずとも神社で供養していただければ幸いである。

ひな人形を買う

親は自分ができなかったことを子に託しがちだ。(親あるある)
女の子が生まれたらひな人形を買おう。ひな祭りには毎年ひな人形を飾り『明かりをつけましょ、ぼんぼりに お花をあげましょ、桃の花』とお祝いするのだ。

娘のひな人形は、高額だったが奮発して三段飾りを購入した。うっとりするほど綺麗だ。顔や髪、十二単、黒い漆塗りの段にあしらわれた箔押しのキラキラ模様。三人官女は巫女が結婚式の時に持つ銚子や三方を持って微笑んでいる。ひな人形は皇室の結婚式の様子を表しているのだ。ぼんぼりには豆電球がついており、点灯すれば一気にお祭り感が出る。

大方の予想通り、飾る場所も保管場所も、飾ったり片づけたりする手間もかかった。仕事で忙しい私に代わって、母がお雛様を飾るためだけに来てくれていたが、子どもが大きくなるにつれ、お雛様を出さない年も増えてきた。高齢になった母は『お雛様を出しに行きたいんだけどね』と来てくれなくなっていた。特に娘が大学生になり家を離れた時は、「もう家にもいないし出さなくていいか。」と押入れに入れっぱなしになった。

ひな人形を飾る

クリスマスの日に大学から電話が来た。娘が体調を崩したという。どうしたらよいか分からずおろおろしながら年を越し、結局学校を1年休学する手続きをした。学生アパートを引き払い、娘は家に帰ってきた。

3月が近づくと、母が昔ひな人形を飾りながらしていた話を思いだした。
「お雛様は子どもの厄を受けて身代わりになってくれるんだから、毎年出さないとダメだよ。」どこから聞いたかわからない話だ。出典はどこ?と右から左へ受け流していた。私はとにかく忙しかった。忙しいとは心を亡くすと書くので、招待状には使わない漢字だ。

暗い押し入れの段ボールの中にしまったままのひな人形。カビが生えていないだろうか。。私はひな人形を出してみることにした。そもそも私が欲しくて買ったのだから私の人形でもあるのではないか。出そう、出そう。

三段飾りを出すにあたって、まずは飾るスペースを確保することから始めなければいけなかった。久しぶりに見るひな人形は、丁寧に梱包してあったためカビも生えておらず無傷であった。段ボール箱の蓋の裏にはかつて私自身が書いた飾り方の図があって、スムーズに飾れた。

お雛様のおかげ

は〜、お雛様はやっぱりいいなぁ。飾ってよかった。

大切なお人形だ。娘が成人しようとも、押入れを占領しようとも処分する気などさらさらない。

今も厄介な事がなにかとあるが、きっと微笑みながら引き受けてくれるだろう。そう都合のいいように解釈して今年もまたひな人形を飾る。

「あ、お雛様だ」と横目でチラッと見て、いそいそと出掛けて行った娘には何も言うまい。健康で楽しく笑って過ごせるのは、きっとお雛様のおかげなのだ。









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