『謎』は解かれるべきなのか

サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んで、ぼくはすっかり彼の世界に魅せられてしまった。特に彼の作品の中にしばしば登場する解けない謎、それがぼくの心をつかんで離さなかった。

しかし、この解けない謎を「謎解き」すると謳った本が今年の八月に出版された。新潮選書『謎解きサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』である。

今回はこの本を読みながら考えたことについて書いていこうと思う。

1.謎を解くとはどういうことか

「謎解き」とはいったいどういう営みを指すのだろうか。
ぼくたちの身近で謎を解いている存在といえば、やはり探偵だろう。世界中に存在する名探偵たち、彼らはぼくたちには簡単に解けない謎(例えば密室殺人の謎など)を解いて、事件を解決へと導いてくれる。
今回は一般的な探偵小説のフレームを見ていくことで、「謎解き」とはどういう営みなのかを考えていく。

探偵小説ではまず、謎とそれを解くために必要な情報が提示される。
探偵小説における謎とは大概の場合「誰が殺したのか」という謎である。そしてそれを解くために提示される情報とは、登場人物たちの関係や、建物の間取り、小道具の描写などである。これらは後々殺人の動機や、殺人に使われたトリックを読者に納得させるために事前に描写しておく必要がある。(実は○○を殺した犯人はどこかの殺人鬼でした、などという結末では探偵小説ではなく、ホラーになってしまう)

謎とそれを解くために必要な情報が出尽くしたところで、やっと探偵は結論を出す。誰が犯人なのか登場人物たち、及び読者たちに提示する。ぼくたちは驚きをもってそれを受け入れるが、そこで物語が終わることはない。「犯人はあなただ!」の言葉と同時に幕が落ち、エンドロールが流れることはないのだ。
なぜなら、ぼくたちは「なぜ」その人物が犯人なのかを知りたいからである。そうしてぼくたちの欲望に応えるように「なぜ」その結論にたどりついたのかを探偵は語り出す。それこそ「謎解き」の瞬間である。

ここから「謎解き」とは「謎」と「結論」の間を論理的に(つまり誰にでもわかるように)脈絡づけていく作業だといえる。例えば、この殺人のトリックはこうなっていて、このトリックをこの時間に実行できたのは○○しかいない、というふうに説明していく作業が「謎解き」なのだ。

2.解けない謎をどうやって解くのか

「謎解き」という営みは「謎」と「結論」の間に納得できる脈絡をつけることだと述べた。それでは「解けない謎」はどうして生まれるのか。
答えは簡単である。謎を解くために必要な情報が足りないのだ。

探偵小説ではよく連続殺人が起こる。いかなる名探偵であっても、一つ目の事件だけでは犯人を特定できないことがあるのだ。例えば密室殺人のトリックがわかったとしても、それを実行に移せる人が複数いるのであれば、犯人の特定、つまり「誰が○○を殺したのか」という「謎」を解くことはできない。

それでは「解けない謎」を解くためにはどうすればいいのだろうか。これも答えは簡単である。足りない証拠を集めに行けばいいのである。
今回読んだ本でもサリンジャーの解けない謎を解くために、著者は「謎」が提示されているテキストの外部へと目を向ける。それは例えば、別の作品の記述やサリンジャーが好んで読んでいた本、作家自身のエピソードなど、に手を伸ばし、証拠を集めに行くのである。

そうしてやっと「解けない謎」を「謎解き」するのだ。

3.謎は解かれるべきなのか

今回紹介した本では、見事な謎解きが披露されている。サリンジャーの作品に親しんだことのある人ならば、読んで損はない一冊だとさえ思う。
しかし、勘違いを防ぐためにもこの事実は伝えなければならない。

この本でサリンジャーの謎は解かれていない。

どういうことか。
探偵小説には「謎」と「謎解き」と「結論」があるのだった。そして今回紹介した本ではサリンジャーが残した「謎」に対してまごうことなき「謎解き」が行われている。しかし、それによって提示される「結論」が正解であると断定することはできない。探偵小説とはことなり「真実」が存在しないからである。この本では「謎」を「謎解き」しているが謎は解かれていない。新たにサリンジャー作品に対する妥当性の高い解釈が生まれたに過ぎない。

つまり、この「謎解き」はサリンジャー作品の読みの幅をより広くすることに力を貸しているが、ある作品の「謎」を唯一絶対の正解でもって「結論」づけているわけではない。「真実」を明らかにしているわけではないのだ。

これからもサリンジャーの作品は無数の解釈を生んでいくことだろう。「真実」なるものが不在のまま、彼の残した「解けない謎」は「謎解き」され続けるのだろう。それはおそらく悪いことではない。
サリンジャーが愛されるのには、読み手によって「結論」が異なるその”不定形”性が一役買っているに違いない。自在にその形を変えて傷口を覆う絆創膏のように、サリンジャーの作品は読む人に寄り添って形を変えることで、ぼくたちを優しく包んでくれる。
「解けない謎」の「謎解き」は、ぼくたちなりの形を探す作業と言えるのではないだろうか。

正解たる真実は、その不変性ゆえに数多の可能性をつぶしてしまう。それはあまりに暴力的である。
解けない謎は解かれるべきではない。
しかし、自らのために謎解きは愛さなければならない。

解かれた謎=結論、に大した価値はない。
ぼくたちを本当に助けてくれるのはいつだって謎解きなのだ。

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