なぜミュシャの作品はジャパニーズカルチャーの文脈でオマージュされるのか

僕がミュシャに出会ったのは、僕が生まれたばかり、まだ一歳にも満たない時である。当時NHKで放送されていた『カードキャプターさくら』に登場するクロウカードというアイテム、そこに僕とミュシャとの出会いがあった。

もちろん僕がそれをミュシャのオマージュだと認識したのは最近になってからだが、改めて様々な作品を振り返ってみると、日本人とミュシャの関係性がどれだけ親密なのかに気づかされる。

それではなぜこれほどまでにミュシャはジャパニーズカルチャーで多用されているのだろうか。今回はその理由について考察していきたい。

立体と平面

ミュシャがなぜ日本人に好まれるのかを説明するためには、まず日本人が好む絵の特徴を考えていく必要がある。

日本特有の絵の文化を考えるときに、西洋の芸術である絵画の延長線上にある作品を持ち出すべきではない。日本の絵の文化は浮世絵とその文脈にある漫画、アニメーションで説明するべきである。

浮世絵の文脈上に漫画やアニメーションがあることを認められない人がいるかもしれないが、ここから先の解説を聞けばその点についても納得できると思う。

画像1

浮世絵の大きな特徴はその平面性にある。上の美人画の顔を見て欲しい。一切『影』が描かれていないことがわかるだろう。つまり浮世絵は平面を描いているのである。

面は線によって描かれ、立体は面によって描かれる。面を角度づけてキャンパスに描くためには、つまり奥行きを表現するためには『影』による錯覚を利用する方法が一般的である。

浮世絵は『影』を用いず、全て線で描かれている。輪郭線、すなわちある物体の内と外を定める境界を一本の線で示すことも、実は西洋絵画の視座から見れば特殊なことなのだ。

さて、この浮世絵の平面性という特徴が線によって生み出されていることがわかれば、線画文化の最高峰である漫画が浮世絵の文脈上に存在していることも理解できると思う。

『AKIRA』など漫画に立体性を持ち込んだ作品が現れたことで、純粋に漫画イコール線画ではなくなってしまっているが、しかしいまだに線画の漫画が覇権を握っていることは確かだし、初めて読んだ人は『AKIRA』や『GANTZ』などの絵のタッチに違和感を感じることだろう。

また日本のアニメもキャラクターの顔が平面的に描かれることが多い。特に萌え絵と呼ばれる類のものは往往にして平面的である。

このように日本人は線で描かれた人物画に慣れ親しんでいるのだ。

ミュシャの持つ平面性

ここで改めてミュシャの絵を見てみよう。

画像2

この人物の影のなさに着目して欲しい。多少の濃淡で立体性を演出しているが、ほとんどのっぺりした面に描かれている。さらに着目すべきはこのはっきりとした輪郭線。人物と世界の境界線が太い線で縁取られている。女性の髪もその毛束を線で明確に示すことで、エアリー感を簡潔に表現している。

まさに平面。しかも西洋らしさは保ったままに平面なのである。このミャシャが持つ平面性こそが多くの日本人に好まれる所以なのである。

そして、よくジャパニーズカルチャーでミュシャがオマージュされる理由もここにある。ミュシャの絵はその平面性から平面的な日本の漫画やアニメに登場させても違和感がないのだ。

例えば線画主体で描かれている漫画作品に中世絵画を登場させるとその中世絵画の立体性ゆえに、そのコマだけ浮いてしまうように感じる。これは現実世界をペーパーマリオのような平面的な人間が歩いているのと同様に大きな違和感が生まれていることを示しているのだ。

しかしミュシャは、ジャパニーズカルチャーの平面的な作品によく馴染む。そして日本人の西洋への憧れを容易に取り入れることも合わさって、これほどまでにミュシャ的な作品やミュシャへのオマージュが日本でよく見られるようになったと考えられる。

終わりに

ミュシャの絵に触れたことのない人が、これを機会にミュシャを好きになってもらえたら幸いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?