木下牧子合唱作品が提示する音楽の空間性への挑戦

僕にはまだ木下牧子さんの作品は捉えることができないと言いながら逃げてきたが、そろそろ挑戦できる程度には力量がついてきたのではないかと思いたち楽譜を読み始めた。

いざ楽譜を読み始めるととても面白い。読めば読むほど新たな発見がある。それら発見の中でも興味深い一つの気づきについて、今回は紹介したい。

それは木下牧子合唱作品の空間性への挑戦である。

音楽の時間的性質と建築の空間的性質

音楽作品の基本は言うまでもなく音の変化である。もちろん例外はあるにせよ、音楽は複数の音程の変化とその変化のタイミングにより構成されている。

すなわち音楽は時間とともに流れる。音楽と時間は切っても切り離せない関係にあり、音楽は時間的性質において常に他の芸術に対して優位性を持っている。

一方、建築の本質は、ある空間を一つの形に同定することにある。これに関しても例外はあるにせよ。基本的には不動のものであり、どこからどの順に観測したとしてもその空間は不変である。音楽のように途中から聴いたら意図が伝らないと言うようなことはないのである。

空間的性質は絵画や彫刻も有しているが、建築の持つそれの方が優位にあることは建築のファクターに絵画や彫刻を用いる場合があることからも明白である。

さてこの音楽の時間的性質と建築の空間的性質は、時間が動的であるか静的であるかと言う点でその親和性は非常に低い。音楽は普遍的な心情を古来から扱ってきたではないかと反論されるかもしれないが、心情はたとえ一貫していたとしても時間的性質を持つものであり不変な空間的なものではない。

音楽の空間性への挑戦がどれだけ困難なものなのか、このことからわかるだろう。その挑戦への鍵となるのは、時間的性質と空間的性質を兼ね備えつつある詩の存在である。

注:建築は建築物に限らない、ある空間のデザインは建築の範囲である。

詩が持つ音楽性、時間的性質

言語はそれ自体すでに時間的性質を持つ。話す内容の順序は相手に何かを伝える上で非常に重要であることは、ご承知の通りだろう。『裸のランチ』は特にその性質の重要性をよく示している。

当然詩に関しても時間的性質はつきまとう。そして詩はその時間的性質を巧みに利用してきた。日本が誇る名詩である『永訣の朝』もその詩の中で刻々と時間は過ぎてゆく。その変化により複雑な心情の劇的な変遷を描ききることに成功しているのである。

このように詩はそれ自体が時間的性質という音楽性を持っているため、音楽と非常に相性がよいのである。歌というものが存在する所以である。

現代詩が持つ建築性、空間的性質

現代詩の中には前述した時間的性質の優位を捨て、ある一瞬を切り取り描写するような作品が存在する。そのような作品はその瞬間をどこから描いていくかという点で時間的性質を有しているものの、時間の動的性質は存在しない。

前述した時間変化による心情を描くような感動よりも、あるシーンを多角的に描くとことによる不動の空間内での発見による感動を指向している。

これらの例は作風あるいはジャンルの一部でしかないことは確かであるが、しかし詩が時間的性質を持つものだけでなく、空間的性質を持たせようと試みている作品が現代詩に多く存在していることは否定できないことであると思われる。

空間的性質を持つ詩を用いた木下牧子合唱作品

さて音楽それのみで「時間的に静止した空間」という親和性の低い対象に挑戦することは難しい。

しかし、空間性に挑戦している現代詩を足がかりにすることで、音楽と建築の溝はグッと縮まる。それでも空間性を求める静止的な現代詩と音楽の親和性が低いことは現代の作曲家たちの作品を見れば明らかであり、まだまだ難解な挑戦であることには変わりない。

それでは木下牧子さんはどのようにしてこの静止空間を音楽内に落とし込んでいるのか、それを理解するためのキーワードは絵画の「印象派」と先ほどから少し触れている「空間の立体性」であると考える。

空間の立体性とは、そのまま多種多様の角度からその空間を認識できることを示している。家で考えるとわかりやすいかもしれない。家は正面玄関側から捉えることもできれば、裏口側から捉えることもできるし、はたまた上空からその屋根を見下ろすことができる。そしてそれら全ての角度から見た家は全く異なる特徴を示すのである。

そして印象派絵画は、そのまま自分に見える印象を描く。モネが示すように同じモチーフであっても日の当たる角度が少し変われば色彩感も印象の変化とともに変わるのである。

この二つを組み合わせることにより、静止空間においても色彩感を時間的に変化することが可能になるのである。ある角度から見た空間の描写を観測者の連続的な視点変化で動画化すれば良いのである。このようにして、静的な空間を動的に描き出すことに成功することが可能になるのだ。

空間的性質を持った詩を用いた木下牧子合唱作品はおおよそこのように描かれ、曲の冒頭では聴き手に負荷のない視点からその空間が描かれ、曲の頂点に向かって観測者が最もその空間が映える視点へと連続的に動くように設計されている。

ここまででも巧みな構成力であるが、それに加え木下牧子さんは自身の幻想的な色彩感を曲に与えている。それにより、単に詩の空間表現を音楽に落とし込んだだけではなく、その空間を自身の世界観(印象)で再構築しているのである。

まとめ

このように木下牧子さんは、非常に難解な音楽に空間性を持たせるという挑戦を、自分の作風、色彩感を損なわずに、また詩自体が持つ空間性を傷つけることもなく両立させている。

この気づきは、やはり僕の力量ではまだまだ手に負えない偉大な作曲家であることを再認識しつつ、もっと彼女の作品の素晴らしさに触れたいと思わせてくれるような発見だった。

拙い文章ではあったが、この文章が木下牧子さんの新たな魅力を発見する一助になれば幸いである。

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