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【ゲルハルト・リヒター展】〜真実はもっと悲劇的で、計り知れないほど恐ろしい

東京国立近代美術館で開催されていた「ゲルハルト・リヒター展」に、滑り込みで行くことができた。

リヒターにも、抽象画にも詳しくないのだが、ホロコーストを主題に描いた4点の巨大な抽象画から成る作品「ビルケナウ」(2014年)だけは見ておきたかったのだ。

4点並んで展示。向かい側にはまったく同じサイズの複製写真が展示されていた。

一見、単なる巨大な抽象画だが、塗りこめられた絵の具の下には、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で囚人が隠し撮りした写真を描き写したイメージが隠れているという。隣の壁にはその元となった4枚の写真の複製も展示されていた。

アウシュビッツの大量虐殺の証拠となるそれらの写真を、私は以前にも見たことがあり、知っていた。そしてそれ以来、悪夢として常に心の中に存在している。
とくにいちばん左に展示されていた写真。夥しいユダヤ人の死体の山の中でゆらりと立って作業しているのは「ゾンダーコマンド」と呼ばれる、ユダヤ人でありながら大量虐殺に加担させられた人物の一人で、これが彼らを捉えた唯一の写真と言われている。

ゾンダーコマンドたちは、決死の覚悟でこれらの隠し撮り写真を歯磨き粉のチューブに隠して諜報員に渡し、欧米にアウシュビッツの惨状を知らしめようとした。だが、これが最も恐ろしい真実だと思うのだが、この訴えは何と、欧米政府によって握りつぶされたのだ
写真からこの事実を知ったイギリス政府は、アメリカ政府に次のような内容の電報を送っている。

「アウシュビッツの大量虐殺を阻止しようとすれば、ドイツはユダヤ人を絶滅ではなく、ユダヤ人を他国に追放する方針に転換する恐れがある。我々がユダヤ人を積極的に受け入れることになれば、民衆の不満が政府に向けられるにちがいない」

1943年1月 イギリス外務省がアメリカ国務省に送った電報内容の概略

自分たちが世界から見捨てられたことを知ったユダヤ人は、どんな心境を抱いただろう? 悲しみ、悔しさ、憎悪。その負のエネルギーが地上から消え去ることはないだろう。
欧米のナショナリズムが、大量のユダヤ人を見殺しにしたという事実。多くの国が右寄りの政策に傾きつつある今、当時の欧米政府と同じような思想が世界に蔓延しつつある気がしてならない

結局、ゾンダーコマンドたちはナチスの手で殺害され、その証拠はほぼ隠滅されてしまった。だが、彼らは大量虐殺の詳細について多くのメモを書き残し、敷地内の地中に埋めたーーいつの日か、誰かが発見してくれることを願って。

現在、メモの一部が見つかっており、解析が進められているという。 例えば、彼らのひとりは次のように書き残している。

「何百万人もの命が奪われたアウシュビッツの歴史が、このメモを通じて世界に伝えられることを願う。そして、いつまでも人々の心に留まり続けることを願う」

ゾンダーコマンドのメモより

リヒターは、長年ホロコーストという主題に苦しみながら取り組みつづけ、ようやく「ビルケナウ」という作品を完成させた。
塗り込められて、もう肉眼では捉えることができない悲惨な過去。それでも人々に目を凝らして見つめてほしい。
私はこの作品から、そんなメッセージを受け取った。

                              「ビルケナウ」一部

愚かな人間は、過去の過ちを何度も繰り返し見つめ、その悲惨さを体感しなければ、すぐに都合よく忘れてしまう。

最後に、あるゾンダーコマンドの残した言葉を紹介する。

「ここには、全てが記されているわけではない。真実はもっと悲劇的で、計り知れないほど恐ろしい。メモはいくつも埋められている。探し続けてほしい。まだまだ見つかるはずだ」

参照:NHK「アウシュビッツ 死者たちの告白」


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