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猫を見つけるのが上手くなりたいな

街を歩いているとき、猫を見つけるのが上手い方だと思う。

「あ、猫だ」と街で猫を見つける瞬間が好きだ。
あのささやかな嬉しさが好きだ。
すぐ逃げてしまう子もいれば、しばらくこちらをじっと見ている子もいる。
もちろん犬も、鳥も好きだ。けれど今日は猫の話をしようと思う。

ひとりで歩いているときに、猫に出会うと思わず声をかけてしまったりする。「こんにちは」とか「こんばんは」だとか、他愛ないことばだ。
気ままに街を歩く彼らは、どこか旅人のようで、なんだかとても愛くるしい。


以前、知り合いに「君は猫を見つけるのが上手いね」と言われたことがある。
あれ?そうなのかな?と考えてみたとき、比較的というだけで、すごい遭遇率とかいうわけではないけれど、なんとなく、なんとなくだけれど、あの曲がった角に猫がいるかもなぁだとか、あの車のところ猫がいるかもなぁだとか思いながら街を歩いているからかもしれない。

猫がいると、なんとなく足を止めてしまう。
ふわふわで眠たげな彼らが、どう過ごしてきたのか、どこからきたのか思いを馳せるのが好きだったりする。


近所の家で2階の窓際に、時たま猫が見える家がある。
今日その道をたまたま歩いていると、ふたりの人が2階の窓を見上げているのを偶然目にした。その時は猫はいなかった。
一緒に歩いていた同居人が見つけた猫だったのだけど、私たち以外にもその子を知っている人が近所にいるということに、ふたりでなんだか嬉しい気持ちになった。帰り道、そっと窓から顔を出す猫を今日は見つけた。

学生の頃、帰り道いつも同じ場所にいる猫がいた。
階段を少し登った先にある住宅街に入る前の坂だった。
ある日の帰り道、階段の下まできたときだ。誰かが喋る声が聞こえた。
これは、なんだろう、そういう人かな?と恐る恐るのぞいてみると、サラリーマンがその猫に話しかけていた。
ばっちり目があってしまったので、ぺこりとして、少しその猫について話をした。「いつもここにいる」「人懐っこいですよね」とかそんな他愛ないことを話して、すぐに別れた。
学生の私は「あ、猫に話しかける人、私以外にもいるんだ」と月を見ながら思ったのを覚えている。


無意識にでも探そうとしていると、いつのまにか出会っていたりするもので、そして私は「あ、猫だ」の瞬間に嬉しさを感じるから、無意識に彼らを探しているのだろう。

それは猫に限らず、月だとか、飛行機雲だとか、虹だとか、花だとか、色々なものに感覚がはたらくことに近いのかもしれない。

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