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戒厳信仰

 旅というのは往々楽しいものである。
 初めての場所で目新しい土産物にチカチカと眼底を刺激され、押し合いへし合いの観光客の荒波を自由にサーフィンせねばならない。変わった地場産の食べ物は鼻孔を不躾にくすぐり、味覚は次なる高みを不相応に目指し、脳みその中の知識欲は観光の目玉となる場所へ急げと好奇心を責め立ててくる。
 身ぐるみはがされたゲームの初期キャラみたいに知らない街で呆然と立ち尽くす。右も左もわからない。コンビニすらも不親切。
 楽しいのだ、そういうのが。

 

 さて今回は鎌倉に行ったわけであるが、この旅は筆者にとって実に4年ぶりとなる「旅行」であり、遠出であったわけである。電車に乗って有志でどこかへ行くなんてのは多分初めての経験で、それはもう、はじめてデリバリーヘルスを頼むときの様な緊迫感と高揚感があったわけだ。初めての町並みはどうだろう。嬢の顔に加工がされているなんて話もよく聞く。特産品とかはあるのかしら。怖いお兄さんがやってきたらどうしよう。 星が撫で、月が布団を掛けてくれる。そんな鎌倉とヘルスがごっちゃになりそうな程の興奮を抱えながら眠りについた午前三時はいつの夜よりも自分に優しかった。

 鎌倉。といえば鶴岡八幡宮であろう。あとは長谷寺しか知らない。江の島も近いの?なんでもあるじゃん。観光オンパレード地帯なわけか。一歩進むごとに観光型地雷がドッカンドッカン炸裂しそうな勢いである。
 セオリー通り駅を出て表参道から八幡宮へと向かう。テレビや本で何度か見たことのある道だった。中央に参道と思しき小高い道があって、青々とした並木が形成されている。なるほどこれが鶴岡八幡宮参道。それを見ただけでもう、旅の目的は十分達成できたかに思えるほどの感動であった。立派な鳥居を抜けて朱色の世界へと飛び込めばそこは的屋ひしめく観光地的な風俗をまとった空間であり、自分はもうその光景にすら旅情を感じざるを得ないのであった。

 一通り境内の散策を終えて仲見世通りに移動する。
 踊る「すき焼きまん」の文字。600円。恋。
 しかし恋煩いに倒れる自分ではない。鎌倉にはしらす丼を食べに来たのだ。すき焼きまんなどという和食と中華の合いの子で、双方の国で握手会を開いていそうなネーミングのアイドルと恋愛をするわけにはいかない。私はしらす丼を食べに来た。それだけだった。 
 涙を呑んで別れを惜しんだすき焼きまんに反して、しらす丼はどこかよそよそしく高尚な味がした。金額も。

 旅の目的は八幡宮とグルメ以外にもう一つ。海の存在である。
 東京在住の人間にとって海とは劣等感(あとはコンクリに詰めた人間とか)を捨てる為だけの場所であり、美しさや和やかさを印象として受ける場所ではなかった。あれは虚栄心を満たすための場所だ。
 一方鎌倉の海はどうだろう。
 繰り返す波打ち際の律動は耳に心地よく、シーグラスさえも歓迎の衣装を纏い、砂の一粒一粒が我々の来訪を喜んだ(それは砂塵として懐に飛び込んでくるほどに!!)
 母なる海はとにかく良かった。
 早々に文化人としての尊厳の一部を諦めた自分は靴を脱ぎ靴下を脱ぎ、都会の欺瞞を脱ぎ社交のウザったさを脱ぎ、一人人間として入水した。その温かさたるや母親の羊水にも似た心地で、「ああ、あれが僕らの夢見た胎内回帰願望」とさながらそのような願望がハナからあったかのような台詞を口ずさんだ。
 口の中の砂がジャリジャリと自由をほのめかした。

 本来であれば旅はここで終わりで、解散また来週も現実で会いましょう、でったのだが、面子の合意叶って一泊二日に延長された。
 別荘を貸し出しているというその日の宿泊施設の屋根はおおらかで、いつか揺られた父の背中の様に安心感を与えてくれるものだった。今日一晩とはいえ、これが帰る家としてこの場所に存在するというのが死にたいほどに嬉しく感じられた。玄関先でくゆらせた紫煙がその死にたさへの線香として滔々と夜空へ消えて行った。そして夏の気配がする空気と混ざった。
 こうして自分たちの春は死に変わり、夏へと羽化していったのだ。
 今度は梅雨が来る。お気に入りの傘がこの前壊れてしまったので、梅雨が来る前に買いに行こう。そうすると、自分の梅雨が始まるはずだから。
(追記・帰りの電車内、筆者の左手にはすき焼きまんが大人しく収まっていましたとさ)


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