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戒厳信仰

およそ「常識」と呼ばれるものは価値観の押し付けに他ならない。
その価値観がメジャーなのかマイナーなのか、それだけが常識か否かを分断している。しかしマイナーというのは異質、つまり個性的であるという事とも同義であり、没個性のコンクリートに沈められて雁字搦めになるのを嫌う現代人は往々にして「俺、変わってるからさ」といってマイナーを追い求める。マイナーを追い求める人々という一大メジャー。

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自分も例に漏れず「自分は別にマイナーを追い求めていないですよ」というメジャーを受け入れるスタンスを取ったマイナーを求める側の人間(文字にすると混乱する)なので、結果的に“よくいる”人でしかない。
40億人以上も人間がいるこの世の中、むしろ確固たる個性を持っていたり真実の意味でマイナーな人間は、メジャーな皆々様が考える様な“一目置かれる”訳もなくただただ迫害される。それに気が付かない人々の何と多いことか(マイナーなりたがり病の発作的な定型文)

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人を殺す、というのが価値観を表す最たるものでは無いかと思う。
例えば殺したい程憎い人間がいたとして、実際殺してしまう人間はごく少数だろう。それが衝動的なものなのか計画的なものなのかでも大きく意味合いは違ってしまうが、それ以前に何かしら殺人を踏みとどまらせる感情が殺意に勝るのだ。
その殺人を踏みとどまらせる感情こそ、各々の価値観による。
法律を破るのが嫌だ、法律を破った後に社会で迫害されるのが嫌だ、手を汚すのが嫌だ、そもそも本当に殺す程ではない軽率な殺意。色々な理由があるだろう。しかしそれは、逆に言えばその価値観に勝る殺意と理由があれば誰しも人を殺す可能性があると言うことだ。

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人はいつでも人を殺せる。ただ、そこに何らかの理由があるから偶然に手を染めていないだけだ。自分だって殺したい人がいないのではなく、殺したあとに潔白を守ることが出来ないのを許せないから殺していないだけだ。

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よく海外旅行に行って価値観が変わりましたという人がいるが、それは多分世界のスケールの大きさにびっくりして理由付けの尺度が変わってしまっただけだろう。ただ、スケールのデカさで言えば、日本だって大きい。ハンバーガーの大きさでは確かに劣るが、街を見ていると分かる。つまり自己否定。こんなにも栄えた街に歯車として組み込まれているのに、各々がその素晴らしさと危うさを理解していないから海外を見て初めて驚くのだ。

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その点写真は良い。俯瞰で街を見ることが出来るので、この街の繁栄と憂鬱の一端を垣間見ることができる。キャバクラの女と高架下の男。ネオン看板と打ち捨てられた生ゴミ。R18の暖簾の奥に見える欲望の世界と閑静な住宅地に飲み込まれている禅寺。

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35mmを片手に撃鉄を起こす音を鳴らしながら10キロメートルをしっかり歩こう。それが自分の価値観だ。

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