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noteのフォロワー5000人をこえて。

 noteのエディターを立ちあげる。自分だけの居場所に帰ってきたような気分になる。背筋がのびる。こころが凪ぐ。頭が動きだす。すぐさま指が動きだしてノリノリな気分のときもあれば、短くない時間まっ白い画面をじっと見つめる羽目になり悶々とすることもある。どちらにしても大切な時間がそこには流れている。自分と真剣に向き合う時間であり、真摯に自分のなかにある何かを分かち合おうとしているからだ。

 そんな大切な居場所である僕のnoteのフォロワーが5000人をこえた。( 2019年1月20日16:54時点では5041人となっている ) 昨日ふと思いたって、昔から友人や知り合いの多いFacebookでこんなふうに報告をした。

一昨年の夏からまいにち書きはじめたnoteというブログの読者さんが5000名を超えました。こういうのを喜んだり、報告したりするのが苦手だったりするのですが、やっぱりうれしいものです。まいにち踏みだす一歩はあまりに小さくてこんなことつづけて意味がないんじゃないかと思うこともあります。それでも一歩、また一歩と踏みだしたら、遠くまでくるものなのですね。今日はどんなことがあっても休まずに歩きつづけてきた自分をねぎらってあげて、また今日も小さな一歩を踏みしめます。読んでくださったことのあるみなさん、ありがとうございます。そうして、はじめてのかたも、読みにきてみてくださいね。( 末吉の1/19フェイスブック投稿より )

 ぱっと見なにをしている人なのかよくわからない人である末吉宏臣というひとりの人間のブログをフォローしてくれる人が5000人もいるということが今でもうまく信じられない。さらには、役に立つ系のコンテンツを書くわけでもなく、どちらかというと日記に近いことも多いブログを、である。

 読者であるみなさんがどうしてフォローしてくれたのか、お一人おひとりのことは正直わからないというのが本音である。しかし、自分自身がどういう姿勢で書きつづけてきたのかということは言える気がした。

 できる限り正直であろうとした、

 ということである。悩んでいるときは悩んだまま、疲れているときは疲れたまま、そのことを書いた。もちろん嬉しい楽しいときは、そのことをめいいっぱいに書いた。わからないときはわからないままに生煮えのような状態で書いた。たとえばそれはブランディング的視点でいけば、NGなことだったかもしれない。けれど、まぁそれでいいのだ。

 noteじゃなくてもっと違うことをやったほうがいいよ、何度となく、真正面から、もしくはそれとなく言われてきた。それでも書くのをやめなかった。こころ揺らされることだってあったけれど、こころの声は、書きつづけようの一点張りだった。( まぁ、意地になってた部分があったことも認めますが、はい )

 これからも、noteに力を入れていった先にどんな未来が待っているかなんてわからない。けれどもやっぱり僕は、この場所に居つづけるだろうと思うのだ。読んでくださるみなさんにとっても( できれば ) 居心地のよい場所にしていくためにも。

 今日も読みにきてくださり、ありがとうございます。昨夜、娘と妻の寝顔をながめながら、やっとのことで定期購読マガジンの申請を出しました。このnoteという場所に、また違う種類の場所をつくっていける、それはつまりまた違った形で読者さんとつながっていくことができるということでもあって、ドキドキワクワクしています。また進捗をご報告しますね。

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