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名残惜しい。

この時間が永遠につづいてほしい。いまどきB級映画にだって登場しそうにないセリフだ。実際に耳にしたことは、、、たぶん、ない。口にしたことも、、、残念ながら、ない。おもに名残惜しいときなどに使われる言葉であろう。こんなコテコテのセリフは言わなくとも、別れるのがつらい、人間そんな気持ちになることはある。

別れるのがつらいということは、その裏にもっと一緒にいたいというポジティブな気持ちがあるということだ。しあわせな時間があるからこそ、名残惜しさという気持ちは生まれるのである。

さて最近、名残惜しいと感じたのはいつのことだろう?

ちなみに僕は、今日の夜だった。一緒にいる時間はいつの間にか過ぎさり、別れの時間が刻一刻と迫ってくる。気持ちを紛らわすために、グラスに残ったビールをくいっと飲み干した。僕は腕組みをして顔をしかめる。

名残惜しい、、じつに名残惜しい。。

目の前に座っている奥さんと顔を合わせて、こくっ、無言で小さくうなずいた。意を決して、ふぅ、小さく息を吐く。じっと見つめて、ゆっくりとした動作で箸をにぎった。皿の上にさいご一口ぶんだけ残った鳥ごぼうをつまんで口へと運んだ。目を閉じて何度か噛みしめてから、時間差で白ご飯を口へと放りこむ。最後の別れを惜しむようにして味わい、ごくっ、体内へと送りこんだ。

別に恋人や家族、大切な友人など人に限らず、( たとえば料理にだって ) 名残惜しいという気持ちは生まれるものなのだ。まぁ、今回は特におおげさに書いてみましたが、そのくらい日常で生まれるささいな気持ちに敏感になっていたいものです。

やぁ、でも、本当に美味しかったなぁ。食べるのって、すっごい普通のことだけど、しあわせの源のひとつですね。

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