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やりたくない、と思っていい

こんにちは、末吉です。

妻がこっそり販売しているバスクチーズケーキの試作を食べられる特権を享受しています。

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今も執筆がひと段落しておやつタイムです。

タイミングよく福岡に住む友人から送られてきたあまおう100%の苺シロップまであって、食べる手が止まりません(汗)

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さて、本題へ。

人間は変化する生き物です。

これまでは普通にやれていたことが、あるときを境に、「やりたくない」と思うことがあります。

たとえば、満員電車で通勤することや、子育て一筋縄な生活、A社と契約している仕事だったり、人それそれでしょう。

そんなとき、真面目な人ほど、「そんなのよくない」とか「単なる逃げなんじゃないか」と、自分を説得にかかるかもしれません。

しかし、そんなのは本来、タイミングやステージによって変わって然るべきものです。

「家族も大事だけど、自分のやりたいことも大事にしたい」そう思ったっていいじゃないですか。

本当は思ってないことを思い込もうとしないでください。

それって自分がいちばんよく知っていて、心や体にどんどん溜め込んで、いつかどこかで大爆発、なんてことになりかねません。

しかもそれが、病気だったり、離婚だったり、暴力だったりと、大規模な場合もあるから要注意です。

また、そこまではいかなくても、じわじわ自分を蝕み、無気力の沼に沈むこともあるでしょう。死んだように生きる、みたいな。

「やりたくないことは、やりたくない」

まずは、自分の気持ちを素直に認めてあげるところから、始めましょう。

そうすると、いきなり辞表を出したり、正面切ってケンカ腰に言わなくても、不思議と必要なタイミングで現実が変わっていくものです。

人生ってよく出来ています。

ヘンテコな我慢をやめて、そういう人がいっぱいになれば、世の中もっと平和に楽しくなるんじゃないかと思います。

どうぞ、そうなりますように。

末吉より


追伸、、、
ぱりんこさんが嬉しいnoteを書いてくださいました。

ツイッターの言葉も嬉しかったので、こちらも貼り付けてさせてください(笑)

僕の解釈が入っていたらすみませんですが、ぱりんこさんもライターはやりたくないと認めて、そこにできた空白ぶん、エッセイでやっていく腹が自然と決まった、そう感じました。

ぱりんこさんなんかは、文章に熱量と個性があって、読者を巻き込みながら読ませることのできる人で、そういう意味では、ライターよりエッセイストが向いているんじゃないかなあ、と。

そういうライターさん、けっこうな人数、隠れている気がします。

ということで、ぱりんこさん、どんどん楽しんで、どんどん自分らしく、どんどん書いていってくださいね〜!

隠れエッセイストの皆さんも、心から応援してます(笑)!!

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