見出し画像

父の百箇日( ひゃっかにち )。

父の百箇日( ひゃっかにち )を終えました。

百箇日法要とは、個人がなくなって百日目の法事・法要です。現在では四十九日のあとは、一周忌法要をされることがほとんどで、百箇日法要は省略されるケースが増えているそうです。

雨が降ったり止んだりする不安定な一日。朝から母を病院に連れて行って、帰りにセブンイレブンでホットのカフェラテを買う。実家に戻ったら、もう親戚が集まっていた。ばたばたとジャケットを羽織って、数珠を手に取り、胸ポケットにお布施を入れ込んだ。

おはようございます、お坊さんが両手を合わせて玄関に姿を表す。それでは、仏壇の前に座り卒塔婆を書きはじめた。ぞろぞろ、親戚たちが16畳の大きな部屋に集まり思い思いの場所に正座する。総勢20名でお経を唱える。部屋が騒がしくなるのに比例して、心のなかは静かに落ち着いていく。お焼香の煙が部屋に充満し足が痺れてくる。( 無意識的な形ではあるが )父との対話の時間を終えた。

その後その日は、午後いっぱいを使った大掃除。父も母も祖母も片付けがそんなに得意な人たちではなかったので、部屋も台所もガレージも荷物の山。親戚ほぼ総出、ジャージ姿、マスク姿でテキパキ動く。その最中は終わりが見えず心が折れそうになったが、終わってみると見違えるほどの仕上がりに。疲れて早めに眠っていたおばあちゃんがあさ目を覚まし、あれはどこいったっかね〜、と生まれ変わった家に戸惑いボヤいていた…。

夜は末吉家恒例の食事会&飲み会。四つの大きなちゃぶ台を並べて、いろんなお店の出前料理と手料理を配膳する。みんなで食事をつつきながら、たわいもない会話を楽しむ。ビールが無限に運ばれてきて、それぞれのコップに注ぎあう。少し減ったと思ったら、次の瞬間にはなみなみになっている。最後まで起きていられたことがなく、今回もぼくは居間に転がっていた。ぐでんぐでんになって…。ごく途切れ途切れに、みんなが帰っていく記憶や奥さんが布団を敷いてくれた記憶はあるが、基本的には目が覚めたらあたりは明るくなっていた。

次は初盆に帰省する予定。長崎のお盆は( 荒々しくて )すごいので、ちょっと不安もありますが、また父のことを思いながら親戚と過ごせる時間は楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?