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noteという場所の( ぼくなりの )定義。

2018年5月7日時点。ぼくはnoteという場所をこう定義しようと思う。

人生の実験室であり、それを記録する場所である、と。

毎日まいにち、どんなことが起こるのか、現象としてはもちろん、そこに伴う思考やら感情やらを観察し文字として残す場所というイメージだ。

などと書いていると、むくむくと違和感みたいなものも湧いてくる。( じぶんで書いているのに不思議なものだ )どういうことかというと、なんだか無機質な感じがするんだよなぁ、上に書いた定義だと。もう少し違う感覚で、この場所をとらえている部分もある。

たとえばそうだなぁ、居場所みたいな。このnoteという場所に行ったら、いつも末吉宏臣という人がいる、そんな感じ。遊んでいたり、本を読んでいたり、働いていたり、呑んでいたり、悩んでいたり、まったりしていたり、喜んでいたり、そのときどきで違うんだけど、末吉宏臣というひとりの人間がそこにはいる。そんな場所。

今後このnoteという場所を、人を招ける場所にもしていきたいと構想中。読者のみなさん、遊びに来てくださるみなさんと一緒に、なにかをやっていけるといいなぁと思いはじめている。どういう形がいいのか、まだ検討中ではありますが、おもしろい形でいろんな人を巻き込んでいけるようになると、広がりや深みの生まれるもっと楽しい場所になるんじゃないかと妄想は膨らむばかり。

ありがとう、note。
これからもよろしく、note。

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