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「弱ったなぁ」

今日は3人の人たちの電子書籍の取材やらプロデュースの打ち合わせが連なっていた。その合間には、電子書籍出版社DNAパブリッシングの編集会議。毎日たのしみにしているお昼ご飯も食べれないほど、息つく暇もないスケジュールの日だった。

どの時間も一人ひとりの人の仕事やら人生に深くコミットする時間ばかりだ。その人の輝かしい実績やら体験、苦しく悲しんだ出来事などを、まるっと聞き続けることもある。( その人が意識化できる範囲のなかで )

ときどき質問をしながら彼らの話に耳を傾けていると、小説や映画にも負けないほどの物語が語られることがある。それはビビッドな色を帯びていたり、やわらかな淡い色合いのこともある。月並みな言い方になってしまうけれど、「百人百様」とはこのことをいうのであろう。

さて、冒頭のことばに戻ろう。

「弱ったなぁ」

今日だけでも約9時間近くの時間、人の話を聞いていたことになる。ずいぶんとたくさんの、そしてさまざまな"おり"みたいなものが、ぼくの意識の底に沈んでいく。夜の雪のように、深々と静かにつもっていくのだ。

もちろん、そのうちの一部の話は書籍やテキストという形をともなって世の中に届けられる。しかし、そのうちのもう一部は( ある意味 )使い道のないままぼくのなかにつもる。さらには、本やテキストという形でリリースされたとしても、ぼくのなかに彼らの話が降りつもっていくのに違いはない。つまり、ぼくの意識の底には何層にもたくさんの量の、さまざまな種類の"おり"がつもっているということだ。

さて、なにに弱っているのかというと、これだけのネタがありながらも、どうにも書くネタが思い浮かばない。もう少し正確には、書こうと思えばスラスラと書けてしまう気もするのだけれど、それがどうしても適切なことと思えないのだ。

ということで、困ったなぁ、弱ったなぁというコトについて書いてみた次第であります。はてさて、これらの"おり"に、いつか使い道はやってくるのだろうか。なにやら、書かれたがっている気もしなくはないのだけれど…。

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この原稿を書くのには、やっぱり気持ちの起伏も関係するのかもしれません。答えの出にくい問題で頭がいっぱいになっているのも、今回のような文章になった理由かもしれないなぁと思います。じぶんの気持ちってものは、いろんなことに影響を与えますよね。

今回の有料マガジン読者限定の楽屋裏コンテンツは、音声配信でお届けします。話題は、「ことばに深みと広がりを持たせるには?」というテーマです。

ほんのちょっとしたことばの使い方の違いで、意味合いがグッと深まったり、スーッと広がったりするからおもしろいものですよね。

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