自分を、生きる。

そもそもそれってどういうことですか?
どうしたら自分を生きられるようになれますか?

そんなことを聞かれても、答えは知らない。

僕は僕であって、あなたではないからだ。

いままでの質問ぜんぶ、感覚の問題なのだ。頭で考えてとか、論理的にとかいったことには意味がない。

心を鎮めて、胸に手を当てれば、すべての答えを自分自身が知っている。外の誰かや何かに答えを求めなくていい。それはその人の答えであって、あなたの答えではないからだ。百歩譲って、参考にするのならいい。

それでも、答えは、自分で出すべきだ。

間違っているかもしれない?

もちろん、間違っているかもしれない。しかし、それでいいじゃないか。誰かが出した答えで正解するより、自分で出した答えで間違ったほうが、きっと人生はおもしろく、豊かなものになるとは思わないか?

たとえば、この文章だって、普段の書き方とはまるで違う。正解か間違いかでいったら、間違いかもしれない。こんな偉そうな語り口は好きじゃない。そう思って、嫌な気持ちになったり、購読をやめたりする人が出てくるかもしれない。それは世の中的に見たら、間違いと言われる可能性は大いにある。しかし、こういう書き方をえらんだ。

なぜか?

僕自身が書きたいと思ったからだ。そこに理由なんてものはない。ただいつものように書きたくなくて、挑戦的な口調で語りかけるように書きたいと思ったからこうして書いている。

自分を、生きる。

そうしなければ、主導権は誰かのもとへと移ってしまう。いとも簡単に。それでは、誰か別の人が運転する車に乗るようなものだ。

その行き先は、あなたが行きたいところだろうか? このまま進んだその先は、本当にあなたが行きたかったところだろうか?

自分を、生きる。

不安になることはしょっちゅうだし、批判されることだってあるかもしれない。しかし、あなたしか生きることのできない、この世界で、この歴史上で、唯一の人生を十全と生きることができるのだ。

きっと心は、魂は喜んでいるはずだ。あなたが、もちろん僕が、自分というものを生きたとしたならば。

それはこの世界を、必ず輝かせる。

だから、言う。

声を大にして、言う。

あなたは、あなたを生きろ。

俺は、俺を生きる。

互いが、自分を生きている、
その光り輝く世界で会おう。

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