頼まれもしない仕事をしよう。
その文章を読んだが最後、しばらくのあいだ、頭から離れてくれないことばというものがある。腐れ縁の親友が部屋に居座ってなかなか帰ってくれない、そんな感じ。もちろん嬉しくて楽しんだけど、他にやることもあるんだけどなぁとちょっと厄介みたいな。今回のそんなことばはこれ。
もちろん、100%そのまんまこのことばの通りではないけれど、じぶん自身に当てはまる。しかし、当てはまるだけでは頭に居座ることはない。横尾さんのこのことばには、共感に包まれた問いがある。
「そうだよなぁ、そんな働き方や生き方いいよな」
で、
「あなたは、どうなの?」
共感とともに、じぶんの"これから"について目線を向けさせられる。考えさせられる。ぼくの場合にはこんな感じだ。
しばらく前までのぼくの仕事は、そのほとんどが頼まれ仕事だった。著者やクライアントさんから依頼を受けて、それをベストな形で遂行していく。それ以外はなにもやっていなかった。
しかし、である。去る2017年の夏も終わりの頃、このnoteを本格的にはじめた。何を隠そうこのnote・・・
頼まれもしない文章を書いている。
ちょっと前に書いたけれど、完璧に道楽ブログである。書きたいことを、書きたいように、ただただ書いている。需要やお金のことは度外視で。しかし、おもしろい。
自由がそこにはある。
真っ白なキャンバスを目の前にした気分である。
これは生きること、そのもの。
しかしそこには、恐れや不安もある。
決められた答えみたいなものがないからだ。
だからこそ、おもしろい。
もしもいま頼まれ仕事、求められ仕事ばっかりだとしたら、頼まれもしない仕事をはじめてみよう。いまよりもエキサイティングな仕事や人生が待っているはず。
そうしてぼくは、頼まれもしない仕事何%でいくか、しばらくのあいだ、悶々とネチネチと考え続けよう。ちなみにいまは、うーん、35%くらいだろうか。
横尾さんの、100%頼まれもしない絵を描く境地やいかに…。
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たしか、糸井さんのほぼ日も、同じような発想から生まれていたはず。そこからこそ、おもしろい世界が立ち上がっていくのだろうと思います。
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