テーラーノムラ
明日は父の三十五回目の命日で
私はとうに父の享年を越えた
凍てつくような夜、母とふたりで夕食を摂り
「お父さんどこ行ったのかね」と
二階に上がった母が見つけた
父は縊死だった
救急車が来て、警察も来て
慌ただしく通夜と葬儀を終えた
私はずっと泣いていて参列者の方々に
ろくに挨拶も出来なかった
父は亡くなるその日の昼過ぎに
私の勤務先に電話をかけてきて
何かあったの?と尋ねる私に
「なんでもない、じゃあな」
と一言残して電話を切った
訳のわからない胸騒ぎがして上司に断りを入れ
しばらく休憩を取った後に帰宅して、それからのことだった
父は紳士服の仕立屋をしていて
店は構えず常連さんやそこからの紹介で注文を頂き
採寸、仮縫、仕上げと時間をかけてその人のための一着を作る毎日だった
私が高校進学を決める時に、将来自分は何をしたいのか考えがまとまらず父の仕事場でその背中越しに作業を眺めていた
ふと閃いて父に聞いた
「今から私も洋裁の修行したら、お父さんの跡継げるかな?」
父はとても驚いて、一呼吸置いてから
「ありがとう」と
「でもな」と言葉を繋ぎ
「儂はこれが好きでこれしかできひんからこの仕事しとる。お前は自分の好きなこと見つけてやればええんや」
なんだか安易に将来を決めようとした私を
軽く諌めた、そんな瞬間だった
父には悪くない話だと思っていたけれど
自分と娘の適性が違うくらいのことはお見通しだったようで
私は好きな花の仕事に就こうとして、その方面の学校へ進み卒業以来ずっとこの仕事をしている
実際この仕事は私にとって「天職」だと思う
家で家族と過ごしたり趣味に没頭するのも楽しいけれど
花と関わることに飽きることはない
でも今こうして「これしかない」と思える仕事に就いたのはあの日の父の言葉があってこそなんだ、
けれども
あの時父が「それなら早速修行を始めよう」
「この仕立屋の二代目はお前だ」と私の行き先を決めていたら?
あの日自ら放った言葉のまま 自分の人生の舵を切っていたならば
ここにいる私ではなかったね
ずっとひとりで全ての工程をこなし、仕上げた背広の内ポケットに最後の最後で縫い付けるブランドタグには
屋号が刺繍されていて、いつもその作業をしている父は機嫌良く鼻歌など歌っていた
それはひとつの仕事の終わりで
次の仕事の始まりの合図でもあった
鼻歌を歌う父がたまらなく好きだった
あの時聞いた「ありがとう」は本心だったんだろう
それでいて「好きなことをやれ」と言ったのは敷かれたレールの上に載せられた自身の轍を踏ませたくなかったんだろう
生前に父に何もしてやれなかった代わりに
父と同じ言葉を3人の子どもたちに伝えてきたよ
それぞれ楽しそうに毎日を過ごしてる
「テーラーノムラ」の屋号は引き継げなかったけれど
大事なことは次世代に渡した。
せめてもの親孝行だと思って、そちらの世界で笑っていてほしい
明日は遺影に砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを
お供えするね
…なんでもない、じゃあね。
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