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ここから「余生」かな。

次男が専門学校の全ての授業を終えて
来月の卒業を待つだけになった。

最後の日は「卒業制作展」として
同クラスの数人でチームを作り
テーマを決めて料理を作った。

彼らが挑んだのは和食懐石で冬から早春にかけての季節の移り変わりを料理で表現したらしい
(サムネイルはその時作った八寸です)

その夜に
「今までありがとうございました」と
改まって挨拶などされて
いやいや、何もお役に立てなくて申し訳ないですなどと
よくわからないやりとりを交わした

これで我が家から「学生」がいなくなる。

元夫と(彼の単身赴任で)別居となったのは
次男が小3の頃で
その後離婚に至った際には、次男が20歳になるまでは
(もしくは卒業して社会人になるまでは)
私は子どものために生きようと決めた

途方もなく先の話だなあと
当時は見えてこない明日を思い
とにかく今日一日乗り切れたら!を重ねてきただけで

どうにか3人の子どもたちが職を得て
ひとりで生きていく道を確保できたなら
それ以降の私の人生は 「余生」 だと思おうと。

自分ひとりになってからが「本番」だよ、と
嗜めてくれる人も居た

別に今までも本気で生きてこなかった訳じゃないし
「いよいよ」「益々」と言うには残された時間に
限りがあることも見えていて
なんとも中途半端な…

でもひとつ、実現できるならやりたいと
考えていたことがある。

もう一度「学生」になりたい

お稽古事やカルチャーセンターの類でなく
ちゃんと授業や試験受けて、レポート出して単位取る。
そんな学生生活がしたいな、と。

前述の次男と共に同じチームに居た中には
「きちんと料理を学びたい」と
社会人経験のある人や60代の女性もおられた

今から学生生活を経たとしても
そこから何かを為せるのかわからないけれど
義務として受けたものより
自分で選び取った学問はきっと楽しいだろうな

いつもちょっと先に楽しみなことを設けては
それを励みに日々暮らしているけれど
自分以外の誰かや何かを気にせずに
好きなことだけやれる日はやはりもう少し先にある

「余生」はカウントダウンのためにあるのではなく
最期まで自分自身を使い切る(願わくば)日々にしたい

焦る必要もないけど頭と身体が柔軟に動いてくれるうちに
…さて、何をしようか?

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