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卒業なんてしなくていい

鑑賞後、とめどなく溢れ出す多幸感。
あらゆるシーン、あらゆる人々の気持ちがまんべんなく救われていて、その多幸感の大きさに、すべての考察と揶揄と批判が良くも悪くも色を失っているかのような状態が今ではないでしょうか。

実際にこの感想はおおげさではなく、エヴァに巻き込まれた、はまったすべての人の素直な感想だと思います。それくらい完璧で、これ以外にはありえないという作品になっていました。
なんとか救われてほしいものが期待通りに救われるというという、この時代の現実にはまずお目にかかることが不可能な、この圧倒的カタルシスたるや。そしてそれがまさかエヴァという作品で展開されたという奇跡。

庵野作品としてのエヴァは大円団で終わったとしても、スピンオフ的に違う時代設定などでエヴァ作品が続くことは十分ありえると思うし(とはいえ、それはしばらく先だし、相当なハードルを乗り越えないといけないとは思いますが)、庵野さん自身も、多くの人がガンダムのようにエヴァを通していろんな作品がつくられるようになればいいというようなことをいっています。

この映画の評価は、超簡単にいうと、おおむね「卒業おめでとう」、というものです。いろんなことが、たくさんたくさんあったけど、いつか必ず卒業式はやってくる。そうしてついに時は来た。今、数々の思い出を胸に、これからは新しい世界へ駆け出そう、、、というようなものです。
言葉にするとあまりにも陳腐すぎるけれど、25年間(ここは人によっていろいろ違うと思いますがエヴァ歴みたいな長さは関係ないと思っています)エヴァとともに生きてきた自分のような多くのファンにとって、この感慨の深さははかりしれません。海よりも深いです。素直に本当にありがとう、という感謝の気持ちが自然に心の底からわきあがってきます。



でも、少し待ってください。


それはそれとして、ちょっと世間のムードに違和感を感じている自分がいます。つまり本編終わったんだから、エヴァというものをあなたも卒業しないといけないよ、という世間一般のいいかたは少し違うんじゃないかということです。たしかに映像作品としてのエヴァはきっちりとあらゆるけじめをつけて卒業式を迎えましたが、その後も多くの人の心の中に深い愛情を持ってこれからもエヴァは残り続けます。

そもそもエヴァを卒業しないということはどういうことでしょうか?
虚構の中に埋没して、現実に向き合っていないということをいいたいんでしょうか?

もしそういうこと意味するのであれば、それはエヴァの問題ではなく、個々人の心や生き方の問題だと思うし、この世にエヴァがあろうとなかろうと等しく存在していることだと思います。
僕たちの多くは、エンタメを楽しむために虚構の中に閉じこもって生きてきたわけではありません。もがきながらも、つまづきながらも、それなりに社会の中で働き、一人で生きていたり、家族を養ったり、選挙に行ったり、レジャーにいったり、それぞれの人生を一生懸命に生きている人がその多くだと思います。
エヴァを卒業しろというのなら、例えばこれから先エヴァ関連グッズを買うことや何らかの関わりを持とうとする、その人の人生を揶揄することにならないのか、みたいな素朴な疑問がわいてきます。

ディズニーを卒業しろよ、と誰も言いません。
スター・ウォーズを卒業しろよ、と誰も言いません。

エヴァもこれからゆるやかにそうなっていくだろうし、そうあってほしい。自分自身が好きなのであれば好きなまま、これから先の人生も今までのように楽しんでワクワクしながら生きていきたいです。
もし、これから数年後に、庵野さん作品以外のエヴァの何かしらの新作がでたときは、純粋にその作品を楽しむなり、けなすなり、良し悪しを判断すればよいと思います。スターウォーズのように監督が違って、いい場合とよくない場合があるように、単に作品として好き嫌いで楽しめばいいだけの話だと思います。

庵野さんはシン・ゴジラでは虚構対現実というすごくタイトなキャッチコピーを用いました。あー、いかにもだなと思いつつ、でもそれは二者択一するものではなく、本来混ざり合っているのが人間として自然なことで、現実だけを見つめて生きていくなんて、厳しすぎるし、不可能だと思います。違う言い方をすれば、虚構と書くとシン・ゴジラですがファンタジーと書けばそれはディズニーです。

僕らの生きるこの現実、この現実世界にしっかりと向き合いながらも、それとは別に自分の本当に好きなものはそれぞれの心のなかに、ずっと生き続けるはずです。

好きなものから、まして他人に言われて無理に卒業する必要なんてありません。自分らしく生きるってそういうことじゃないですかね。


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