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The day a burden was lifted.⑤

心のシコリが解けた日編


・取り戻した感動

好きだったものを嫌いになりたくなくて、パタリと心を閉じた日から、あっという間に時は過ぎ。
それでもどこか心の片隅に、暗く重いしこりが残ったままだった2024年。

まさか、こんな日が来るとは、思わなかった。


最近、早朝図書館コミュニティで出会ったJちゃん。
彼女もコブクロファン。
Zoomに映る彼女が、ツアーTシャツを着ていたことで、「私も前にライブに行ってたよ」と言葉を交わしたら…

なんと


過去に同じ会場、同じ公演(ATB鹿児島公演)に参加していたことが分かり‼︎
当時、お互いを全く知らない私たちが、あの同じ空間にいて、一緒に声を合わせて歌ってたんだ、あの感動を一緒に体感してたんだ…。

そんな風に、巡り合わせの凄さに感動しつつ、5年前のあの、心震えた瞬間に気持ちを向けて、何気なく記憶を振り返っていたら…

(…あれ?…なんで楽しかった思い出や、受け取ってきた感動、大切な人たちとの出会いまで、なかったことのように蓋をしていたんだろう。)って、ドーンと雷が落ちたように、衝撃を受け。

自分で自分の心に蓋をしたことも忘れ、3年の月日が経った今、急に気づかされたのだった。


恐る恐る、曲をApple Musicで検索して、かけてみた。
以前なら、サブスクなどでも、コブクロの曲を検索することすら辛かったのに…
3年ぶりに、一曲、フルで聴き切れた。

ただ、それだけ。

たったそれだけのこと。

でも、私にとっては、とんでもなく大きな事だった。
その曲が終わる頃には、グズグズに泣いていた。


・解く鍵

大好きだったアーティストの音楽を通して、Power of Music、音楽の力、音楽の楽しさ、ライブの感動、歌詞を通して励まされた事実、繫がりを通して支えられてきた感謝、大切な人たちとの縁。
たくさんの宝物を受け取ってきて、それは確かに私の中にあったし、自分以外の誰かに奪われるものでも、傷つけられるものではないのに、私は自分で、それらに「バツ」をつけてしまっていた。

ショックを受けて、傷ついたことを、自分で受け入れられなかったんだ。

あぁ…わたしは、ほんとうに悲しかったんだ。
許せない、と思う自分が許せなくて。
傷ついて。
自分で自分が大事にしてきたものにまでバツをつけて苦しくなっていたんだ、と、やっと分かって。
泣けてきた。

そして。
Jちゃんが、5年前にも同じ空間(ライブ会場)にいてくれて、今このタイミングでここ(早朝図書館)にいてくれる。心の蟠りを解く鍵のように私の前に現れてくれた。あぁ、なんという縁だろう、なんて有難いんだろう。

あの日「好きなものを、嫌いなままでいたくない」と放った願いが、時間を経てJちゃんを私の前に連れてきてくれたような気がしている。
彼女がいてくれたおかげで、私ひとりでは向き合えなかった当時の感情に、ちゃんと向き合うことができ…朝から号泣。


ずっとずっと、胸の奥に沈んでいた重いしこりが、すぅーっと溶けていった。



・自分以外の感情と行動を支配しようとしない

今、自分がいるここから、過去の私を振り返ってみると、「アーティストは、こうあるべき」「人として、行く道はこうあらねば!」みたいな、分厚いフィルターを通して批判していた感情が見えてくる。重ねて、あの頃の私の「執着心」と「依存心」。

他人の行動に心ざわつかせたとしても、それは、その人の人生だから、私が口出す話しじゃない。
その人にしか見えないものがあるし、どんな行動を選択するかは、その人の問題。

でも、私がそれをどう思うかは、自由で。
私が自分の気持ちを否定しなくてもいい。
許せなかったら、許せないままでいい。
傷ついた、悲しかった、と感じたなら、悲しいと、認めていい。


「事実と感情を分けて考える」

今振り返ってみれば、もっと冷静に気持ちの整理ができただろうに。
でも、あんな風に苦しさと哀しさを抱えて時間を重ねるしかなかった結果の「今」だからこそ、ほどけたんだと思う。

今、わたしがどうしたいかを選べる。
だから、これから、自分なりの距離感で、マイペースで、大好きだった曲をまた大事に聴いていきたい。

夏至の朝に、心の雪解け。



カチンコチンに心が凍って感情迷子だった頃の話は、こちら🫱

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