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ゲーム制作がやめられなくなった原体験

原体験

ゲーム制作がやめられなくなった原体験ははっきりと覚えています。その原体験は2つあります。そのころと比べてコンピュータは大きく進化しましたが、今もその体験の追体験をしているような気がします。

原体験①デバイス制御感

原体験のひとつは、小学生の時、画面の中に自分がデザインしたキャラクタを表示したことです。
使っていたのは「N88-BASIC」で、画面に表示されるのは文字のみでした。プログラムコードを書いて、画面の指定した場所に自分がデザインしたドット絵が表示されたときの感動は今も覚えています。そのころの画面はブラウン管で、分厚いガラスの向こうにある蛍光体を制御していることに震えました。日常で見ているテレビのような装置を制御していることに喜びを覚えてしまったのです。

さらに、キーボードを操作すると設計したとおりに上下左右に動化した時に、優先ではつながってますが、離れた場所にあるキーボードの入力をコンピュータが得て、そして、ディスプレイを制御することに喜びました。

原体験②仮想空間

もうひとつの原体験は、仮想空間の体験です。画面にキャラクタを表示して、上下左右に動かした次にしたことは、設置したブロックに当たったら進めない制御でした。ブロックを表示しなくても、キャラクターはプログラムしたようにそこに「ある」としたブロックに当たって進めないのです。
後に「仮想空間」とか「バーチャルリアリティー」という言葉を知りましたが、言葉を知る前に体験した仮想の空間を生み出すことに衝撃を受けました。

ゲーム制作がやめられなくなった原体験

こうして振り返ってみると、コンピュータの中の仮想空間に万物を生み出して、すべてを制御する全能感の快楽が忘れられないんだと改めて認識しました。

時代は進んでメタバースが、「儲け」と結びついてバズワード的に広がっていますが、メタバースでも「作る側にいたいな」と思っています。

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